平成14年12月21

UJI 花散歩 壱百拾五


経文の木―タラヨウ

  
 昔、インドでは紙の代わりにタラキ(多羅樹)という木の葉の裏に経文を書いていたそうです。日本にも、この葉に似た木があるのでタラヨウ(多羅葉)と名づけられました。お経文の木ともいわれていました。貴重な木であるので今でもお寺や神社の境内などに、タラヨウの大木が茂っているのを見ることが出来ます。葉の大きさは、巾7p、長さ20p位です。葉の裏にお箸などで文字をなぞると忽ち文字が現れ、その文字は長い間そのまま保存されています。もしかしたら、郵便の「はがき」は、この葉に書く「葉書き」が語源ではないか、と調べてみましたが、そのようなことを書いた書物は見つかりませんでした。タラヨウは、秋になると美しい真っ赤な実がたくさんつきます。小鳥たちは、木の実の味を知っていて美味しい木の実から順に食べていきますが、タラヨウの実は真っ先に食べられるとい>います。さて、経文を書く葉、即ち「写経」ですが、宇治別格本山の「宝蔵神社」という名称について不思議な話があります。宝蔵神社建立の工事が開始されてまもなくの頃、当時宇治別格本山建設奉賛会長であった中村藤吉氏(当時、株式会社中村藤吉本店社長・宇治誌友相愛会会長)を通じ、宇治の郷土史研究家で宇治別格本山の近所にある善法寺の住職成田貞寛師(当時、仏教大学教授)が、「生長の家の谷口雅春先生は、どうして宇治のことに詳しいのですか?」と驚いて訊ねて来られました。師が言われるには、『安養集』(大津市・西教寺所有)という書に、平安時代中期、藤原氏の別荘であった平等院の敷地に「南泉坊」という地名があり、そこは現在の宇治別格本山のある一帯で、平等院の宝の藏がいくつもあった、と書かれている。「宝の藏」=「宝蔵」の宝は、中国から写経し持ち帰った経であり、全国から僧がその経を亦写経する、宝の藏であったといいます。この「宝の藏」のあった地に「宝蔵神社」が建立されたことに、成田師は驚きをかくされませんでした。(上求参道・金剛心参道周辺)













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