平成14年12月31

UJI 花散歩 壱百弐拾五

聖なる樹木―カミノトマリギ


(樫の木)

  
 明治維新により江戸時代の民俗文化は失われた、という説がありますが、経済は別として暮らし方の基本的な部分は、江戸時代からのものを太平洋戦争のころまで引き継いできた、という説もあります。ところが、昭和30年代後半からの高度経済成長期を境に残された基本的な部分までもが崩壊し、日本人の心の内面にまで危機的状況が迫っている、と言われています。自然とともに生き、いつも暮らしの中心に自然がある、ということが極端に希薄になってきました。そのため逆に、今日のあまりにも非自然的・非人間的な姿に疑問をいだく人たちが現れはじめました。人間は本来、自然の中で自然と対話しながらのびのびと生きるべき、との自然を求める人たちで賑わいつつあります。江戸の民俗文化にタイムスリップしてみましょう。“神が宿る木”といえば「御神木」でスギ・ケヤキ・クスノキ・カツラ・モミ等があります。“神に供える木”といえばサカキですね。ところが、山で木を伐る人に「自然木の中で神様が腰をかけて休む木だから伐ってはいけない木」と昔から言い伝えられて、 それを守っているのです。その木は、@幹や枝が途中で別れ、その先で再び一緒になった木。A大きな幹から太い枝が直角に出ている木。B幹から太い枝が土瓶のツル状に出ている木。C松の木などの枝がソメイヨシノの天狗巣病になった枝のように一カ所にかたまって密生しているもの。D根元または途中から三本立ちした大木。それらを「カミノトマリギ」とか「カミノヤスミギ」と呼んでいます。聖なる樹木であるわけです。宇治別格本山にも三本ありました。一本は、宝蔵神社と新練成道場との間にシイ(椎)の木があり、もう一本は、智泉荘の玄関の左後ろ上にアセビ(馬酔木)があります。そしてもう一本は、モミジ(紅葉)の木ですが、皆さん、宇治別格本山に来て探してみて下さい。因みに三本ともDの「根元または途中から三本立ちした大木」です。


(馬酔木)












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