平成15年2月1

UJI 花散歩  壱百四拾

風雅の限りを尽くして―ツララ

 

≪写真B≫
 

  ツララ(氷柱)は、雨や雪などの水が軒や岩角などに滴るとき、凍って棒のように垂れ下がったものをいいます。このツララは、風雅の限りを尽くして造られた智泉荘(*註)の正門の近くに出来たものです。ここからの水は地下を通って宇治川に流れていました。しかし、この水は何処から来ているのか? 調べてみました。といっても博士の清水さんに聞くのが早道です。その水の最初は、蹲踞(つくばい)≪写真@≫でした。蹲踞とは、茶庭の手水鉢(ちょうずばち)のことで、石の手水鉢を低く据えてあって、手を洗うのに茶客が蹲う(うずくまる・しゃがむ)ことからいいます。蹲踞から出た水は、一時地下を通ります。のちに庭の斜面を流れ、添水(そうず)≪写真A≫に出会います。添水とは、水車や竹筒などによって水を引き入れるもので、添水唐臼(そうずからうす)とか添水竹(そうずだけ)、或いは鹿威し(ししおどし)などともいいます。ここから水は亦地下を通り、この氷柱の処に出るのです。≪写真B≫
 *註……風雅の限りを尽くして造られた智泉荘
「智泉荘」の前身は「福田山王荘」と呼ばれ、かつて大阪の北浜で福田将軍といわれた故福田政之助氏が、大正十年頃のその全盛時代に、当時にして数百万円の巨費を投じて建設したもので、極めて良質の水を山中の水源地より濾過装置を通じて引き、庭園は奇巌、あるいは珍しい石像、燈籠等を配し、鬱然と並ぶ北山杉には一本一本水と肥を注ぐ管を具え、風致を害しないように電線はすべて地中に埋めるなど、まことに風雅の限りを尽くしたものです。大正十一年五月二日、英国皇太子殿下が宇治を訪れられたとき、この荘で休憩、昼食されたという記念碑があります。



≪写真@≫蹲踞(つくばい)の水も凍っている
   
≪写真A≫添水(そうず)の近くは凍っている












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