平成15年2月17

UJI 花散歩  壱百四拾九

古い椿の白角倉―ツバキW

 ツバキの園芸品種は桃山時代の末からあらわれますが、大ブームとなるのは江戸時代に入ってからです。江戸期には数多くの書物・図録が作られました。元和・寛永時代に安楽庵策伝〈註1〉が『百椿集』や『剪花翁伝』を編みましたが、そこにも見られる古い椿の白角倉(シロスミノクラ)です。嵯峨に住む角倉素庵〈註2〉が発見者とされています。白色のものを白角(シロスミ)、すなわち別名の白澄(シロスミ)とも呼びますが、赤もあり、これは赤角倉(アカスミノクラ)と呼ばれています。いずれも美しい蕾を持つと言われています。花だけ見ると、白菊・蓮見白・南京白などの白色千重(せんえ)咲きと似ていて区別がつきにくいほどです。(愛泉荘周辺)

〈註1〉 安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)
 京都の繁華街のど真ん中、新京極を四条から突き当たる手前東に「誓願寺」というお寺があります。この「誓願寺」の住職を江戸期にしたのが安楽庵策伝【天文23年(1554年)〜寛永19年(1642年)】です。浄土宗の僧侶、茶人、文人、咄家として優れ、とりわけ上方落語・江戸落語の先駆をなし、落語の始祖といわれているのが安楽庵策伝です。『醒睡笑』(8巻あり「睡りを醒まして笑う」の意味)で僧侶としての説教用に編集し、京都所司代に献呈した書物もあります。千三十余の笑い話を収めた質量ともに一級の笑い話集で、説話研究上の好資料と言われています。笑いと落ちを取り入れた法話とはどんなものでしょうか? こんな話が『醒睡笑』に入っています。盗人のひとりがついさっきまであった手ぬぐいが見あたらない。へんだなぁ。と言った。仲間の一人が顔を横に振りながら、本当に不思議な事だ。この中に盗みそうな者はいないのに。と言った。

〈註2〉 角倉素庵(すみのくらそあん)
 角倉素庵【元亀2年(1571年)〜寛永9年(1632年)】は、江戸初期の貿易商・学者・書家です。能書家で「洛下の三筆」のひとりと言われています。

※旧城下町として発展したところが盛ん―ツバキ「UJI花散歩 壱百参拾四
※春の木と書いて読む字は日本の国字―ツバキU「UJI花散歩 壱百四拾四
※一重咲きの京ツバキ・初雁―ツバキ V「UJI花散歩 壱百四拾七
※古い椿の白角倉―ツバキW「UJI花散歩 壱百四拾九
※春を待ち望む時期に春を告げる―ツバキ X「UJI花散歩 壱百五拾
※古くから茶花として愛好された―ツバキ Y 「UJI花散歩 壱百五拾五
※椿尽しに秋の山?!―ツバキ Z 「UJI花散歩 壱百五拾九
※藪椿に始まり藪椿に終わる―ツバキ [「UJI花散歩 壱百六拾参
※菊更紗という綺麗な名―ツバキ \「UJI花散歩 壱百七拾四
※春は曙―ツバキ ]「UJI花散歩 壱百八拾七
※紅白一対の名木―ツバキ ]T「UJI花散歩 壱百九拾壱
※いにしえよりいのち受け継ぎ―ツバキ ]U「UJI花散歩 弐百
※お止めの椿―ツバキ ]V「UJI花散歩 弐百参
※見納めの椿たち―ツバキ ]W「UJI花散歩 弐百壱拾六
※椿油―ツバキ ]X「UJI花散歩 弐百八拾壱












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