1145「親への恨み心」と「唯神実相を理解したい自分」は
      どう両立できるか浄心行で解決

 

 私は今の高校に入学して以来、そこでの生活に満足していました。
私の通う高校は、卒業生に生長の家の信徒も多く、
そのような高校に行けた喜びは大きなものでした。

 しかし、二年生になった昨年四月に新しくやって来た生活指導部の先生に私が
当時政治的な活動をしていることを睨まれ、私に全く非がない場合でも脅迫的な口調で
私の退学を望んでいる旨を告げられたこともありました。

 一方で自分にも現象に捉われている面があり、生長の家信徒の私が
学校を憎んでいることも嫌になって、親に無理を言って学校を休んで
宇治に来て一般練成会を全期参加することにしました。

 一人で宇治に来るのは初めての経験でしたが、観光案内所でもらった地図を片手に
なんとかたどり着き、山口哲弘講師の面接を受けました。

 山口講師は私の話を聞かれた後、何故か一番最後に
「この練成会で親に感謝することを学んで下さい」と言われました。

 私は両親が生長の家なので、胎児の頃から『大調和の神示』を聞いていたはずでしたので、
親との関係が特に悪いわけでもありませんでした。
むしろ自分勝手な理由で学校を休んで宇治に行く私にお金を出して下さった両親には
感謝していたほどでしたが、山口先生のセリフなので、頭の中に「?」が浮かびつつも
「ありがとうございます」と答え、内心では「もし親への感謝が足りないとしたら、
それは現象だからだ。早く現象に捉われない心を身に付けて、唯神実相の真理を悟りたい」
などという思い上がった考えをしていきました。

 そんな私でしたが、輪読座談会の際に榎本一子先生のお陰で、
これまで以上に唯神実相への理解を深める事が出来、自己嫌悪から開放されました。

 しかし、それでもやはり私の現象の心は迷いに捉われていたのです。
ただ、これまでとは違う見方が出来るようになり、次の日に浄心行を受けました。

 この時の山口講師の講話の中で「不徳の致す所」という話が出てきました。
「自分には徳がなかったのか」と思いつつ、その話が他の話し以上に妙に印象に残りました。
そして、浄心行用紙記載の際、他人を恨み憎んでいた私の心が吹き出しました。

 「これは現象の悪感情だ、現れたら消える。心はない、心はない」と思いつつ、
段々小さい字で書いていた私の字が乱れ、遂には生活指導の教師を責める文章を殴り書きにして、
最初の一番広い一面を書ききりました。
書きながらも、親への不満だけは一言も書きませんでした。
しかし、次の面を書こうとする瞬間、山口講師の「なるべく思い出して書いて下さい」
という直前の講話での一節が脳裏に浮かび、さらに
「知らず知らず犯す罪は、知って犯す罪よりも重い」という言葉と共に、
私が普段荒れていた感情が込み上げてきました。

 私は中学時代にいじめに合っており、その時に自分を守ってくれなかった両親を
何かの拍子に恨んでいました。

 一方で、私の両親は幼い頃から中学時代を含め、今に至るまで私に強い愛情を注いでくれており、
その事は私も自覚していました。

 この二つを同時に思い出した私は自分が親不孝であり、しかも「父母に感謝し得ない」のに
真理を悟ろうとしている「神の心にかなわぬ」人間だと知りました。
その事を浄心行用紙に書こうとすると、手が震えてきて、ついには手から力が抜け、
気が付けば声を出して泣いていました。

 全ては観世音菩薩の働きであると知りました。
これまでの私は懺悔と共に自己処罰をしていましたが、
前日の座談会での榎本先生の話のお陰でこんなに罪深い私でも救われていると知り、
更には懺悔の機会が与えられた事に対する感謝の感情が湧いてきました。

 自分の罪を自覚して泣きつつも、浄心行の機会が与えられたことが嬉しくもなって来ました。
更には泣く事が気持ち良いとまで感じましたが、なんとか泣き止んで用紙を書き終えて食堂に行きました。

 雨上がりの空気のような明るい気分で食事を取りましたが、その時はまだまだ私は泣いていました。
この時になって、私はやっと唯神実相と唯心所現の意味を、私なりの形で体得することが出来ました。

宇治の講師の方々、特に山口講師と榎本講師に感謝の気持ちでいっぱいです。
まずは父母に感謝できるようになり、その上できちんと真理を学びたいと決意しました。
ありがとうございます。













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