1174現象は努力する余地があっても実相は完全円満なんだ

 

 私が今回練成会に参加出来たのは主人の仕事と母の手術のお陰です。
主人の仕事でGWの予定はなし。宇治へ行くか実家へ帰るか悩んでいたら、
母が目の手術で六日から入院すると言われました。
五才と三才の元気な孫の相手はさせられないなぁと思い、宇治へ来ました。

 去年の九月に地方講師を拝命してから何故か予定が重なり、
地元の練成会に参加出来ず、勉強会も子連れでは集中出来ず、
出講するも自信がもてずにいました。

 もっと勉強したいと思いつつも三人目がお腹にいることもあり、
ギリギリまで宇治へ行くか悩んでいました。

主人の出張に合わせて始めた先祖供養のお陰か前記の理由に背中を押され、宇治へ参りました。

 初日の講話が終わる頃には四月初めから続いていた鼻水がピタリと止まり、
早速宇治に来て良かった!と思いました。

 前回は私にべったりだった二人の子供が今回は 「行ってきていいよ」
と大講堂へ快く送り出してくれ、集中して講話も行事も参加することができました。

 特に初めて参加させて頂いた浄心行は大感動でした。
清水講師の講話を聞いていると何故か幼い日の記憶が思い出されました。

お金が無い中、四人の子供の子育て。でも誕生日には必ず出前をとって食べさせてくれました。

 父は休みの日は外でよく遊んでくれました。
運動会のお弁当には大好きなエビフライが必ず入っていました。

 喧嘩もよくする両親でした。よく叱られてよくぶたれました。
私も保育所の頃はよく爪を噛んでいました。

 今でも父は常に怒っている方が多いです。
でもそれは私の心の現われだったということに気付き、
私の存在が夫婦調和の象徴だと言われた時に本当に申し訳なさで涙が溢れました。

 私は愛されているのに、父は母を愛しているのに表現の仕方が違うからと
言葉や現象に惑わされて父の本当の姿を見ていなかったのです。
そう気付いたとたん主人の父母と主人に猛烈に感謝の念が湧き起こってきたのです。


 主人の父母も年に一、二回しか会わないのに何故か毎回
夫婦喧嘩もしくは親子喧嘩をするのです。
何事も無く帰れることはまずなく、その内子供や私にまで
とばっちりが回ってくるようになりました。

 自分だけならまだ我慢できることも子供にまで辛くあたられた時はもう二度と来たくないし、
絶対許せないと思いました。でもこれも私の心がつくったものでした。

 浄心行中、お嫁に来た私に
「女の子が欲しかったの。娘になってくれてありがとう」 
と言ってくれた母を思い出しました。

本当の親子になって尽くそうと思っていたのに何て親不孝をしていたんだろうと
懺悔の涙がとまりませんでした。

 ところが次の日になると何かまだ自信がないのです。
やっぱり一回の浄心行くらいじゃだめなのかな、
何かして頂いても「ありがとう」より「すみません」って出てくるのは
だめなのかなと考えていました。

すると榎本講師の講話で「そのままで良い、そんな心は本来ないのです」と教えて頂きました。

 自然と涙が出ました。私はそのままでいいんだ。
現象は努力する余地があっても実相は完全円満なんだという事が
ストンと私の中に入ってきました。

それからは聴く講話の全てが気付かせて頂く事ばかりでした。

 宇治へ来るまであれほどイライラしていた心は消え、感謝が満ち満ちてきました。
でもまだ私は何も実践していません。地元に帰ったら私はラッパになります。

 私がするのではない、私を使って神が成し給うのです。
神想観と先祖供養を続け、教区大会が六月九日にありますので、
それに向けてまだ声をかけてない方に早速お誘いしたいと思います。

今、五人来て下さることになっているので、あと五人誘います。
ありがとうございます。



宇治練成体験談 トップ


©生長の家宇治別格本山