1281当たり前な事への感謝に気付き、スランプ状態から脱した

短期練成会

 私は祭司部に奉職させて頂いています。
今回奉職して以来三年ぶりに練成を受けさせて頂きました。
切っ掛けは初心に立ち返りたい、何か自分のカラを破りたいという思いからでしたが、
練成を受ける数日前からろくに眠れなくなり、不安が襲ってきて、心がスランプのような
自分に自信が持てない状態になっていました。

 現象の自分に捉われて、問題が起きると自分を責めて苦しくなり、
素直な信仰心が持てなくなっていました。

 もう一度初めて練成を受けた時のような気持ちで受けようと思いましたが、
久しぶりの練成会で緊張していました。

 いざ始まると練成員さんの中に三年前、初めて練成を受けた時に一緒に受けていた方や、
祭司部で大祭奉仕をして頂いた方や、私の祖父を知っているかもしれないという方や、
いつも参加して下さっている方々と一緒に練成を受けられて
やっぱり一番いい時に神様のお計らいで受けさせて頂いているんだなぁとつくづく思いました。

 そして講師の方々お一人おひとりの体験を交えた熱のこもった素晴らしいご講話と、
何よりもお一人おひとりの講師の方々の生き生きとした「楽しんで練成会を受けてもらいたい」
という思いが伝わってきて、練成会は素晴らしいなぁとつくづく思いました。

 講話の前に拝み合いをして、お一人おひとりと握手をさせて頂くと、
どの方の笑顔も日を追う毎に益々明るくなり、司会の方の本当に明るくて笑顔溢れる先導で、
手をつないで皆様と笑っていると、私自身も日を追う毎に楽しさが増し、心が穏やかになっていきました。

 奉職しているので毎日宇治にいさせて頂いているのに、いつの間にか現象に捉われて、
当たり前のようにこの宇治で過ごしている日々がどんなにありがたいことだったのか、
今こうして皆様と出会って笑ったり泣いたり励まし合って乗り越えていく日々がどんなに大切な時間かを
改めて実感し、講話の途中でも思いが溢れて涙を流していました。


 職員になって三年目になりますが、鬱病で劣等感の塊だった私は、存在していてもいいのか、
希望が見えない日々を送ってきたところから、この宇治の皆様の優しい穏やかな愛に支えていただいて、少しずつですがここまで来ることが出来ました。

 今回の練成を受ける前も、現象に捉われて神の子の本質である自分を忘れ、
不安と劣等感で自信をなくしていましたが、やはりそれは自分の心の迷いであり、
実在ではなかったんだと改めて気が付きました。


 そして、当たり前のことに感謝する心が足りなかったと反省しましたが、
気が付ける機会を頂いたことに感謝し、前を向いて一歩一歩焦らずに進んでいこうと思います。

 今回練成を受けたことで、先生方、職員の皆様、研修生の皆様、練成員の皆様の
お一人おひとりの優しい愛のお言葉がありがたかったです。

宇治での神様のご縁に感謝しつつ、日々自分なりに人様のお役に立てるよう精進していこうと思います。

 三日間、大変お世話になり、皆様のご協力のお陰で全期受けさせて頂き、本当に有難うございました。
また笑顔で皆様とお会い出来ることを楽しみにしています。ありがとうございます。


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