1313 「良くするため」の信仰ではなく、「既に神の子」の信仰へ  

新春練成会体験

 私の家は母方が代々生長の家を信仰していて、幼い時から母が神想観をしたり、
聖経を誦げたりする姿を近くで見ていました。

 私自身も5年ほど前から自分で生長の家を信仰するようになり、
休みがとれるとよく宇治の練成会に参加していました。

 毎回練成を受けるたびに心が明るくなって家に帰るのですが、
家に帰ってみると練成のような生活も続かず、
神想観や聖経、聖典読誦もやったりやらなかったりと、
中途半端な信仰をしていました。
そして人の欠点ばかりを見て「なんでこの人はこんな事も出来ないんだ」 
と腹を立てたり、自分が正しいんだ、相手が間違っているんだと
人を傷つけてしまう言葉を言うこともありました。

 自己中心的で人の気持ちを考えない、人を裁いてばかりいる、
そんな自分が大嫌いでした。
常に自己嫌悪に陥り、後悔ばかりしていました。

 変わりたいけど変われない、そんな悶々とした日々を送っていました。
そんな中、職場から十日間休みをもらうことが出来、
この一般練成に休みを合わせて参加しました。

 どこか気持ちが晴れないまま三日過ぎた頃、清水講師とお話しする機会があり、
今の自分のことを相談すると、「悪感情が起こったとしても、それで浄化しているから良い。
全てが神様の愛の現れで、全てが素晴らしい。良くなるために信仰しているのではない。
既に宇宙一素晴らしい神の子だ、悦びの連続だから悩んでいる場合じゃないよ」

とお話し下さいました。

 それを聴いた瞬間、パッと目の前が明るくなったような気がしました。
今までの私は、「神想観したら性格が良くなるかな?」や、
「練成に参加したら嫌な自分がなくなるかな?」など、
不完全な自分を認めながらの信仰だったということに気がつきました。

 「自分は最低だ、性格が悪い」ということをずっと掴んでいました。
そうではなくて、「今、神の子なんだ」、「今、素晴らしいんだ」、
「今を悦べばいいんだ」 ということを心の底から感じることが出来ました。

こんなに素晴らしいことばかりなのに、悩んでいる場合ではない
という言葉が私の中に響きました。


「私は宇宙一素晴らしい神の子なんだ」 と思うことが出来ると、
今まで悶々としていた気持ちもすっかり消え、嬉しい、楽しい、ありがたい・・・
と自分の中から悦びが溢れてきました。

 笑いの大会も、いつもなら顔だけ笑っていたのですが、
自然とお腹の底から笑うことが出来、入賞することが出来ました。

 今回こうして素晴らしい練成会に参加出来たのも、亡くなった父やご先祖様が
導いて下さったのだと思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 私はこの練成で決意したことが二つあります。
一つは、神の子として悦んで三正行を実践すること、
もう一つは、今年の大祭奉仕に全日程通して参加することです。

 仕事の都合で休みを取ることは難しいかも知れませんが、
「お役に立ちたい」 という思いで祈ろうと思います。
十日間、本当にありがとうございました。


宇治練成体験談 トップ


©生長の家宇治別格本山