1416 長男が私達夫婦を復縁へと導いてくれた

一般練成会体験談

 今回一人で初めて十日間練成を受講しました。
平成七年に二十年間の結婚生活にピリオドをつけ家を出ました。
長男十九歳。 次男十六歳の時です。

 私達は結婚して一年目に姑さんが急に五十二歳で他界され、
主人の父と弟がいる家に同居しました。

 五ヵ月後に長男が産まれ、子供と男性三人の身の回りや食事の世話をしました。
身内の人達から 「お姉ちゃんが来てなかったら男三人、目も当てられへんかったわ」
と言われるたび、自分をちょうど良い所に来たお手伝いさんのような気がしていました。

 主人は仕事が続かず、何回もケンカして辞めて来るし、
何を考えているのかちっとも解りませんでした。

 義弟が結婚し、義父を見送った頃からは賭け事に手を出し始め、
家の権利証を勝手に持ち出し、大金を借りたり、サラ金にまで手を出し、
業者が家にやって来てどうしようもなくなりました。

 家でも口を聞かなくなり、挙句の果ては 「出て行け!!」 と言われました。
私は次男が高校へ入るまでは辛抱しようと決めていたので、高校入学後、
次に言われた時は本当に出て行く準備を始めました。

 今考えると父の反対した結婚だったのでうまくいく訳がなかったのです。
家を出て一年後、長男が大腸の病気にかかり、入退院の繰り返しを何年も続けていました。

 『生命の実相』 の御本を読んで心が打ち震えて、一緒に練成を何回か受けました。
その内長男は病気を抱えながら研修生活を一年間させて頂き、
「両親を何とか和解させなれればいけない」 と思ったそうです。

 私達の間を何度も行ったり来たりして、真理の話をし、
直ぐに大きな声で怒り出すお父さんの顔を見ながら、
やっと四年間かけて私と会う約束を取り付けたのです。

 私も会いたくはないし、顔も見たくないけれども子供が望んでいるので
最初は仕方なく会いました。

 数日後、家に封書が来ました。
長男のお陰で会えて感謝していることや、本心ではないことを言って申し訳なかった事など
三枚の便箋に自分の思いが書いてありました。

 その後は一年に二回、家族四人で食事に行く程度でしたが、
その内長男は十日間の練成に行って欲しいと言い出しました。

 男の人が十日間も仕事を休むのは大変な事ですが、望みが叶い、
二人は十日間、私は八日間の練成を受けたのです。

 席は離れて座り、五月でしたので、茶摘みの献労でも離れていました。
長男はそのまま宇治に残りましたので、帰りは二人で帰りました。

 それから年が明けてすぐ電話があり、一緒に住まなくてもいいから
籍だけ入れて欲しいから考えておいて下さいとのこと、
しばらく考えさせてもらって受けました。

 お父さんがその事を子供に電話したそうです。
長男はその電話があった時、これほど涙が出るものかと思うほど
号泣したと後で聞きました。

 そしてこの四月に私が腰痛を起こし、主人が私の所に来た時、
こんな状態でおいておけないといって大阪に連れて帰られ、同居となりました。

 二十年間お互い自由にしていたので色々とありますが、
この六月に浄心行をした時はまだまだ許せない思いが一杯ありましたが、
今回は私の父にも感謝の気持ちが湧いてきて、主人にもこんな私で
申し訳ない思いでいっぱいになりました。

 ここに至るまで沢山の講師の皆様にご愛念を頂きました。
本当に感謝申し上げます。

 十八日の写経を終えて拝殿に帰り、バスを降りると主人が立っていました。
大阪から二時間半もかけ、たまの休みにも関らず来てくれていたのでビックリしました。

 今までの私なら 「明後日帰るのに何しに来たん?」 と言ったでしょう。
帰ってからは夫婦仲良くし、長男に頭を下げてお礼を言います。

 これからは夫婦の問題を抱えている人達のお役に立たせて頂きたく思います。
本当にありがとうございます。


宇治練成体験談 トップ


©生長の家宇治別格本山