1688気ぜわしない日常生活に祈りを取り入れることに

H30新年祭準備献労感想文

 自分に自信がなくなり、神の子を実感したく、準備献労に参加しました。
来た時から同室の参加者に声をかけて頂き、4名が一緒に献労中行動する事が出来、
一人での参加の不安が吹き飛びました。皆さん献労経験者で心強かったです。

 浄心行で過去の自分に別れを告げ、新生することを期待していました。
浄心行用紙に書くことがあるのかと思えたのに、みるみる用紙が字で埋まり、
心の中の醜さに驚きました。

父母への感謝はまだ足りず、すっきり感がやや足りないように感じられる迷いがありました。

 祈り合いの神想観では、自他共に実相の顕現を祈るのは素晴らしく、達成感のある時間です。
清水講師のお話も素晴らしく、大笑いの中で 「既にそのままで救われている神の子が自分である」
ということを思い出させてもらいました。

 献労に参加された全ての方々の実相が現象界にも現れますように願っています。
献労にはどんな作業があるか知らず、自分でも出来る行であればよいと思っていたのですが、
「出来ない献労を神様が与えることはない」と考え直しました。

 床拭き、洗車、落ち葉掃きなど、身体を動かす作業から、更に家では体験出来ない
『宝蔵』の発送やカレンダーの準備等もしました。

 『宝蔵』発送の作業で、いただく側ではこんなに皆様の愛を得て送られて来ていることを知り
嬉しくなりました。これからはもっと感謝して拝見したいと思います。

 祈りの中で献労が行われていることは宇治では当たり前のことなのでしょうが、
気ぜわしなく生活している私には、日常にも祈りを短い中にも取り入れることを始めようと思いました。
このような献労に参加出来たことを神様に感謝します。来年も来られれば嬉しいです。


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