1828浄心行で、感謝し、今までつかんでいた亡き父への後悔を放すことができた

10月一般練成会体験

   昨年10月に一般練成会に参加し、先祖供養、浄心行、
感謝行、それから沢山すばらしい講話をお聴きし、魂が悦んでいるという実感、
何だかとても嬉しい、楽し10日間だったので、機会をみつけ、また参加したいと願っていました。
今回はただ、ただその思いで参加しました。
玄関に入った途端に、また嬉しい気持ちが湧き上がってきました。
 研修室で隣の方とお話しをしている時に、15年前に亡くなった父の事を思い出しました。
父は何回目か脳梗塞で、意識不明になり、救急車で搬送されたが、治療できない状態だからと、
個室に移され、点滴だけを受け三週間近くも入院していました。
勤めの帰りに病院に寄ったら看護婦さんに「今日輸血をした」と言われました。
私の知らないうちに、家族の承諾もなしでした。父は翌日亡くなりました。
隣の個室にも、その隣にも何人か入院していたので、「間違えられたのかな?」と思いましたが、
医師から何の説明もなく、又突然の死で気持ちが動転して余裕がなく、
医師に問い詰めることもなく過ぎてしまいました。
父は穏やかな人で、人と争う事は望まないだろうと、
わたしが勝手に判断したまま時が過ぎてしまいました。
あれは多分医療ミスだったのではとか、訴えるべきだったのではと、
自分の判断が間違っていたのではと、時折思い出しては気にかかっていました。
長田講師のご指導を受け、人間は肉体ではなく、私の判断はまちがってはいないが、
それをいつまでも気にして、自己処罰しているのが問題だと教えて頂きました。
 父が自分の死で私(娘)が長い間、苦しみ、悲しむのは、
父を苦しませ悲しませている事で、親不孝をしていることだとご指導をうけました。
翌日の浄心行で、感謝し、今までのつかんでいたものをやっと放すことができました。
ありがとうございました。
 朝の時間を生かす生活をします。神想観を続けます。肉体はない。
神の子だ。今を悦べ。認めて表現せよ。という教えを心に刻んで生活していきます。


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