1849うつ病、パニック障害、発達障害で入院 研修生となりお役に立つ素晴らしさを実感出来た

12月一般錬成会感想

  私が今回練成会に参加した動機は、気付けば子供の頃から集団というものに馴染めず、
よく病気をしていて、ずっと暗い性格でした。
中学生の頃にはいじめが原因でうつ病になり、不登校になりました。
また、それと同時期に両親が離婚し、それ以来私の家は母子家庭になりました。
それから高校(通信制)の時は一応病気になるようなこともなく、時間にも余裕があったので、
アルバイトなどもしながら、どうにか順調に通うことができました。
しかし大学に入学してから半年後、 周囲の人との不調和からパニック障害になってしまい、
通学が困難になり、 休学することにしましたが、1年後にそのまま退学しました。
その後は精神安定剤を飲まなければ外出できない状態になり、
人に会うのも怖くなり、19歳から引き込もりになりました。

それから、3年程して気付けばパニック障害は(あまり薬は飲まず)克服していました。
ところが、私の家は母子家庭だった上に、私が病気のため働けず、
そのため母親の収入だけで生活しなければならず、ずっと貧乏な生活を送ってきました。

22歳の時「このままではいけない」と思い、どうにか私でも働き、生きていける方法はないかとインターネットなどで調べていたのですが、そんなある日、「発達障害」という単語が目に止まったのです。
詳しく調べたところ、発達障害の特徴(症状)がまるで私の幼少期から学生時代までのことを言っているようでとても他人事とは思えず、さらに調べて発達障害者の支援センターの存在を知り、そこに相談することにしました。
そこで精神科の病院を紹介され、その病院で案の定「発達障害」と診断されたのです。
その時は今まで自分が生き辛かった理由がよくわかった気がして、とてもスッキリしました。
その後、障害者手帳を取得し、それを使って障害者枠での就職を考えるようになり、
前記の支援センターからの紹介で障害者向けの職業訓練に通うことになりました。
しかし、そこに通い始めてから1年半後の昨年の6月、人間関係でのトラブルが原因で体調を崩し、
そこから拒食症になってしまいました。とても通い続けられる状態ではなくなり、
すぐにその事業所は辞めました。

その後も拒食症でほとんど食事がとれず栄養失調で体力もなくなり、
そんな状態が1ヶ月ほど続いていたある日、この辺りから記憶が曖昧なのですが、
不眠の症状も出始め、3日後の朝、トイレに行こうとして廊下を歩いていたところで意識がなくなりました。
記憶がないのですが、母親によると、この時私はパニックになり「死にたくない」というようなことを叫んでいたらしく、気付けば家に救急車が来ていました。
その時かかりつけの病院を訊かれ(この2ヶ月ほど前から私は精神科に通院していて、そのためか)訳がわからないまま救急車で精神科に連れて行かれ、そのまま強制的に入院させられていました。
今思えば、あれは生長の家で言う“迷いの自壊作用”だったのかもしれません。
それから長い入院生活が始まりました。
私はなぜか閉鎖病練(部屋に鍵をかけられ、 医者の許可がないと外に出られない)に入れられ、自分の病名やどんな薬を処方されているのかも伝えられず薬漬けにされ、病気が良くなるのかと思いきや、
かえって不安になり、入院してしばらくしてからは幻聴などの症状も現れ始めたのです。
そんなわけで、他人を信用できなくなり、自分は何のために生きているのか、今まで自分は何のために努力してきたのかなど、そんなことを考えて悲観的になりました。
ところが、他の入院患者と関わっているうちに、だんだん「今までの病気や不幸の原因は
自分の考えが歪んでいた(マイナス思考)からではないか」と思えてきたのです。
そして、なぜか宇治のことを思い出し、その時初めて神様に振り向くことが出来たのです。
それは私が子供の頃、母親がよく宇治の練成会に私を連れて来てくれ、
練成会で出会った同年代の子供と遊んだり、
浄心行の時に研修生の方(この方は現在は本部講師になられています)に遊んでもらったりして、
宇治にいらっしゃる方は皆さん素晴らしい方ばかりで、
とても居心地が良かったという事を思い出したのです。
そして、「退院して元気になったら宇治に行きたい」と、この時から思うようになりました。
不思議なことに数日後、母親が面会の時に“聖経”を持ってきてくれ、
その日からいつもベッドの上で聖経を読むことにしました。

しばらくして、気付けば今までの症状はほとんど消えていました。
しかし病院側の意向でなかなか退院させてもらえず、
結局、退院できたのは入院してから4カ月後の、昨年11月でした。
そして退院してからは、「神様に関わることは積極的にやっていこう」と決心し、
毎朝近所の神社にお参りに行ったり、聖経読誦をしていました。
すると不思議なことに昨年末突然宇治から“練成会の案内”のハガキが私宛に届き、
「これはもう行くしかない!」と思い、今年の四月、約十数年ぶりに宇治に来ることができました。
その時初めて一般練成会を受け、この時今まで飲んでいた薬を止めることが出来、
その後6月から研修生になりました。
研修生になったばかりの頃は病み上がりで体力がなく、プログラムをこなせる自信がなかったため、
最初は10日間で辞めるつもりでしたが、気付けば6ヶ月になり、自分でも驚いています。
私が今回の練成会で印象的だったことは、4月の練成会でご一緒した方と久しぶりに再会出来たことや、以前私と一緒に研修生をされていた方が来られていたことなど、沢山ありました。
他にも自然体験プログラムじゃがいも掘りでは時間を忘れるほど夢中になったり、
18日に楠本加美野先生がいらっしゃり、インタープリテーションで一緒に絵手紙を描いたことなど、
とても思い出に残る練成会になりました。
そして、講話を聴いているうちに、
「自分は小さな問題をつかみ、それを気にし過ぎてしまい不安になっていた」ということに気付きました。

まずは問題から心をはなす(荷物を下ろす)ことが大切だと思います。
そして、物事の明るい面を見て、それに感謝する『日時計主義の生活』を実践していきたいです。
私は研修生になって、生長の家の生き方を実践させて頂き、人のお役に立つ素晴らしさを実感しました。
これからも、子供の頃にお世話になった宇治への感謝と、
恩返しの気持ちも込め、これからも研修生を続けていこうと思います。
全ての人、物、事に感謝できる私になります。


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