1977仕事は神様から与えられ、この世は与えたものが与えられる世界であった

一般練成会感想

 参加動機は、私は中国地方の電力会社に勤務しており、
十八才よりずっと同じ会社で働いています。
今現在、主任という役割をしており、私は五十代の主任、
あともう二人は四十才前半の主任がいますが、
十月の昇進で私以外の二人が管理職に昇格し私は昇格しませんでした。
理由を聞こうと課長と話をしたのですが、私の納得出来る説明がなく、
来年は管理職にあげる予定であると言われましたが、理解出来ず、
もんもんとして宇治にやって参りました。 

 講話を聞いても頭に入らず、個人指導をお願いしました。
上司から仕事を与えられているのではなく、
神様から仕事を与えられているんですと説明を受けた時、心が軽くなりました。
課長が信用できない人間だと自分の心でつかんでいたものが消えました。
年下の主任と肩を並べて仕事をするのに、何故かプライドが先に立ち、
しんどかったですが、神様だったらどう判断するかという思いで仕事を取り組もうと思ったら、
気が楽になりました。

六十才がら定年なので、あともう数年しかなく、同年代で、担当者で、
同資格であり給料が同じで、責任はない。
「あいつらはええな」と心で思い、相手を裁いており、しんどかったです 。

講師より、「給料が少なく同じ仕事をこなしているという事は、
その差の分は陰徳として宇宙銀行の貯金をしているという事であり、
必ず与えた分は与えられ、それが自分に戻ってこない場合は、
子供に与えられる場合がある。」と言われました。た。
それが物ではない場合や色んな目に見えない形で必ず返ってくると教えて頂き、
目の前が明るくなるのを感じました。

大拝殿での感謝行の時、涙が出て止まらなかったです。
自分が投げたものが返ってくる世界だという事が分かったので、
今日からは神様と共に生きる生活をしたいと思います。

三正行を行いたいと思います。宇治に来て本当に良かったです。



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