2034 最愛の母が最期にみせてくれた真理 もう迷わず“本物”を生き、伝えていける

初詣練成会感想

12月12日に母が昇天したため、お正月の準備をする必要もなく、
まとまった時間がとれたので初詣練成会に参加しました。
生長の家の御教えを信仰し、私に伝えてくれた母の供養と、
母と共に参加する気持ちで来ました。

初めて練成会に参加したのは今から22年前、丁度初詣練成会中に、
私は初めて個人指導を受けました。
その前年12月に夫が急逝して、ショックで生きる気力もなく、
心配した両親が連れてきてくれたのです。

その時指導してくださったのは、長田講師でした。
当時の私は生長の家のことなどよく知らず、唯つらく悲しい心を聞いていただいて、
講師から、「人間の生命は生き通しだからよろこんだらいいんですよ」と言われ、
心が少し軽くなり、もっと教えを知りたいと思うようになり、
翌2月に再び宇治の練成を受けに来たのでした。

その後、何度か練成を受け、
ご縁を頂いて生長の家の講師活動をさせていただくようになりました。
その間、父を見送り、夫の母を見送り、そして今回、母を看取ることができました。

生長の家は母方の祖父母から伝わりましたが、
東京の空襲で家族の大半を失った祖父は、
神も仏もあるものかと生長の家を捨てたため、一旦途切れました。

でも、母が父との不仲で苦労し、救われたいと願っていた時に、
家のポストに白鳩誌が入っていて、親が信仰していたことを思い出し、
自ら入信したのでした。

その後、次男を喘息で亡くし、当時3歳だった孫を育てるために、
父と一所懸命世話をし、私が夫を亡くして引きこもっている時も、唯いつものように、
食事を作って、お風呂を沸かして、日常を送れるように守ってくれました。

私が仕事で引っ越すことになり、
一緒に暮らすことを決意してくれたのも 、私が一人で淋しくないように、
当たり前に人並みの生活を送らせてあげたいとの思いからだったと思います。

今年10月に入院した時に、「貴女をおいては逝けない」と、
うわごとのように言った言葉から、
どれだけ私のことを想ってくれていたかと思うと、胸が痛くなりました。

ここ数年、介護が必要な状態になり、入浴や排せつの介助を私がするようになると、
申し訳ないとばかり言うので、私を育ててくれたお返しだから安心するようにと言い続け、
2人で拝み合って泣くこともありました。

母の最期は本当に美しく、最後の息を引き取った時、
私は母の手をしっかり握って、聖経『甘露の法雨』を誦げました。
生前、一緒に誦げていたので、しっかりと伝わったと思います。
母の姿は、22年前に指導していただいた時の、
「人間の本当の姿は生き通しの生命だから、よろこんだらいい」
という言葉を証明してくれたようでした。
それは私にとって最高の母の愛であり、
これからしっかり生長の家の信仰を生きていく勇気を与えてくれました。

私はこれから、もう迷うことなく、生長の家の教えを積極的に生き、
出来るだけ多くの方々に教えを伝えて行きたいと思います。
それが母への恩返しであり、「医者だけじゃあかんな、生長の家をやらんとあかんな」
と言い残していった父への恩返しでもあるからです。

母が昇天する少し前に、まだ意識がはっきりしている時、
母にこれまで色々心配かけたことをお詫びし、
生長の家を私に伝えてくれたことに感謝しました。
その時母は冗談っぽく、先に逝ったら、
私や家族皆の強力な守護霊になると約束してくれました。
だから今はきっと喜んで、張り切っていると思います。

今回、素晴らしい練成会に参加できましたことを、講師の皆さん、
職員の皆さん、奉仕員の皆さん、練成員の皆さんに心から感謝いたします。
またいつか参加したいと思います。


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