『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第15号  昭和58年12月15日 

  宇治別格本山草創期の思い出 

京都市 和田三雄
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「宇治は魂のふるさと」と言われます。私の様に故郷を持たぬ者には誠に有難く、
嬉しい言葉です。誰でも故郷を懐かしく愛する如く、私も宇治を限りなく愛する者の
一人です。

建設当時、兄や兄嫁の後について廻り、色々見聞きしました。兄嫁は病弱な為、
タクシーで往復し、宇治川の土手のデコボコで真暗な道をゆられて帰ると、無数の
白サギが飛び立ったのも昔話です。

谷田国次郎先生の鞄持ちを暫く致しまして、本山建設の御苦労話を伺い、
特に総合学校建設の為、二十万坪の土地の視察にお供をして、その厖大なる
構想に驚きました。

また、台風が宇治を襲った事がありました。翌日谷田先生のお供で参りますと、
福田山王荘(現智泉荘)及び本山建設用地は被害はなく、向かいの静山荘増水の為、下から一米余が流出し、柱ばかりでした。

女将さん(故井上静子社長)の話では、増水の最中、二階(旧建物)で
甘露の法雨を誦げて祈っておられた所、増水で危険を感じ、皆で無理におろされ、
舟で花やしきへ非難された所、甘露の法雨が流され、屋根付門の鴨居に長く開いて
ひっかかり、一番下で増水が止り、家屋の流出が免れたと言われて、涙ながらに
喜ばれ、以来生長さん生長さんと、一層協力的になられました。

本山建設も軌道に乗り、練成が始まり、徳久先生から電話がかかり、
献労御指導中の先生に練成手拭の図柄を決めて頂きましたが、その図柄が
今でも練成手拭として使われて居ります。

本山落慶時、私の店の店員と奉仕の婦人二人で冷蔵庫や、氷はバイクで運び、
冷たいオシボリの奉仕をさせて戴いた事は最も楽しい思い出です。

其の年以来毎年大祭宿泊係を拝命し、二十数年させて頂きました。
その後、教化部の早朝神想観が縁で、昭和三十八年一月二十五日、本山拝殿で
嘉村宮司様の祭司で結婚致しました。
共に初婚で共に四十三歳の高年齢で珍しいねと言われました。

以来本山の御守護、御導きに依り、今年で二十年、霊の向上と共に御教の御蔭で、一切調和の中に生かされて参りました事を感謝致します。

本山の思い出は数限りなくありますが、石油ショックの時、本山の色々と必要品
購入の為、職員の方と一緒に業者を紹介しながら走り廻り、食器やトイレットペーパー迄購入したのも懐かしい思い出です。

諸先生始め、皆様からも親しくして戴いている私達夫婦は、誠に幸福者と
感謝致して居ります。私達は双方の両親をお祀りして頂いて居ります宇治を
いつまでも愛し続けることでしょう。

 



 

 

 

 


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