『宇治だより』 第18号 昭和60年1月1日
神性に目覚めし地 宇治
兵庫県 小笠原 淳
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今から二十年前、私は心臓病の宣告を受けて失意のどん底に落ちていた。
若者のなすべきことは何一つ出来ない虚弱な体であった。
そんな或る日、宇治の練成会を受け、決死の思いで献労に従事した時、
天来の聲をきいたのであった。「お前の手を見よ。指紋がある!!」
という一喝であった。
ああ、指紋は人類皆違っているのだ。
十万人に一人の心臓だという宣言を受けた私であったが、一人一人皆違っていて
当たり前であったのだ。
その日以来、私の心臓は完全にその機能を発揮し出したのである。
そんな魂のふるさと宇治を訪ねたのは、六月三十日であった。
兵庫教区講習会受講券祝福祈願をとり行うためであった。
吉田武利先生、久利修先生をはじめとして宇治をまもる人々による
厳粛な行事を受け、身心ともに静まり切った自然の中で荘厳な祈りを
さずけられた時、まさに此処このままが地上天国そのものの光景が直感され、
光輝く大地におりたった思いであった。
かしこみて頭たれつつ修祓うくはるかに遠く鴬のなく
末一の稲荷につづく朱(あけ)の橋たずね来し日はかたつむりはう
谷口雅春先生の御誠心を正しくうけつがれる宇治別格本山の皆様方に
深く感謝を捧げるとともに、この御教えの大伝道の荘途に出発することを
大神に誓わせていただいた私であった。