『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第22号  昭和61年7月25日 

  行ってよいとこ去ってみてよいとこ

   群馬県教化部長(当時)  島崎 忠雄
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宇治 十五年五ヵ月
私が宇治別格本山に奉職したのは、昭和四十年十一月のことであった。
当時、本部で青年会活動に情熱を燃やしていた私にとって宇治本山への転勤は、大きなショックであった。
でも当時の総務夫人であった嘉村綾子様からの電話で「宇治はとてもよいところですよ。
喜んで来て下さいね。」と云われ、喜んで行かなければと思いつつも心は重かった。

そんな気持ちで着任した私ではあったが、日を重ねるうちに思いは変わっていった。
魂の浄められる聖地での生活、ご先祖に感謝の祈りを捧げつつの練成会は、他に比べることのできない荘厳さを感じさせてくれた。やがて昭和四十六年十月、入龍宮幽斎殿の落慶によって、第七次元世界における祈りと聖経の練成がはじまった。

そして忘れることの出来ない思い出は、献労による練成であった。
あの真夏の酷暑の中、そして真冬の寒さの中でも、裸になってモッコで土を運び、無限力を出し切った壮快の“気”は、宇治練成ならではの神性開発であった。

そしてこの献労の中から病が癒された奇跡的な体験や、人生に輝く一転化を与えた救いが枚挙にいとまがないほど顕れてきたのである。こうした献労の中から、幽斎殿の敷地も、末一稲荷神社の境内も、龍宮参道も造られていったのである。

宇治を去って“今”
このような輝かしい数々の感動と悦びを身に受けつつ私は昭和五十六年三月、十五年五ヵ月の長きに亘る宇治別格本山における使命を終えて退任となった。

今、宇治本山を去って五年有余、思いを新たにすることは、人類光明化運動における宇治本山の使命の重大さと、魂の安らぎを感ずる聖地宇治の実感である。
私にとって宇治別格本山は、まさに魂の修業の場であり、み教え研鑽精進の日々であった。
まことにも、“私の魂のふるさと”であるとともに、宇治本山なくして自分の今日は無かったことを痛感するものである。

バスを仕立てて
私たち信徒の御先祖の霊鎮まります生長の家の仏間、“宝蔵神社”。
“魂のふるさと”宇治別格本山。ここに多くの人々がお詣りすることと、顕幽相携えて人類光明化運動を推進せんことを願い、来年の宇治対策部研修会には、群馬県よりバスを仕立てて大挙参加すべく目下計画をすすめているところである。


 

 

 

 


©生長の家宇治別格本山