『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第29号  昭和63年6月25日 

  喜びみつる宇治

    生長の家本部企画システム室長 元宇治別格本山祭司部長(当時) 

久利 修


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「宇治」という言葉を聞くと、たまらなく懐かしい思いが込みあげてきます。
昭和三十六年三月十日、
この日は私にとって生涯忘れることのできない日であり、
清冽な名流宇治川と緑に包まれた宇治別格本山に
初めてご縁を頂いた日であります。

当時高校生だった私は、
生長の家の御教えをより深く勉強したいと切に思っておりました。
両親にお願いして三月十日の誕生祝いのプレゼントに
春休みを利用して十日間の一般練成会を受講させて頂いたのです。

本山の霊域に足を踏み入れたとたん、
なんとも名状しがたい懐かしさと心のやすらぎを覚えました。
十日間の練成会は喜びと感動の連続でした。
魂の奥深く揺さぶられ、生涯この御教えとともにありたいと誓願し、
霊によって新生した秋(とき)でございました。

ですから私にとりまして、「宇治」は文字通り“魂のふるさと”であり、
第二の生誕地なのです。

星霜移り、五十六年九月、宇治別格本山祭司部長の大任を拝命し、
六十一年五月まで宝蔵神社にお仕えさせて頂くことになりました。

朝々に神をまつりて師を仰ぐ よろこびみつる今ここは宇治 (58年春)

毎朝五時十分からの早朝行事が始まる以前に、
神官装束に威儀を正し、
日供(にっく)・献饌(けんせん)のお祭りを行い、
お塩・お水を祝詞奏上と共にお供え申し上げます。
特に雪の積もった日、 三方を奉じて末一稲荷神社に向う
龍宮参道の往き還りは粗相のないように一段と緊張を覚えたものです。

神様、御先祖様にお仕えすることを通じ、
学ばせて頂いたことは「私心を捨て去り、無我になってお仕え申し上げる」
ということであります。猛暑の時も、厳寒の時も、大祭であっても、
又日々の祥月命日供養祭であっても、その時、
その場の一瞬一瞬を神様の理念現成のため、
私心を去って全身全霊をもってお仕え申し上げる、
ということでございました。

夏の盂蘭盆供養大祭には全国の信徒の方々により
浄書された数多くの霊牌がお祀りされ、
谷口清超先生、谷口恵美子先生の御親祭を賜り、
世界に類列のない荘厳なる御祭りが盛大に執り行われます。
両先生に御親祭賜りますと、心の中に喜びが充満し、
「御先祖が、流産児の御霊が、護国の英霊が真理を悟られ、
喜びに満たされておられるのだ」という想いがふつふつと沸いてくるのです。
宇治はまことにも生長の家の仏間、魂のふるさとであります。 


 

 

 

 


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