『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第32号  平成元年5月10日 

  新しい前進の時

    生長の家 理事 兵庫教区 教化部長 (当時) 良本 峯夫


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昭和三十一年十月、宇治の修練道場で生長の家青年会の見真会があって、
私は青年会中央部の何かの役員をしていた関係で、
派遣されて、東京から宇治に国鉄寝台車に乗って出張した。
実はその見真会が終わると、その足で九州宮崎の郷里に帰って、
結婚式を挙げることになっていたのだ。

その青年会の見真会で何の話をしたのか覚えていない。
関西地方の青年会の仲間達に、何かひやかされ、
また激励祝福されたような気がする。
時の青年会長徳久克巳先生の言葉だけが私の記憶に残っている。
曰く「良本がいちばんいいなー」であった。

宇治のお山は紅茶がいっぱいで、
何とも美しくすがすがしい気分であった。
宇治川の流れが殊のほか清らかに見えた。その頃の私は、
身分は東京都の青年会の専従職員であったが、
宇治に生長の家の別格本山というものが出来て、
ここに大きなお宮が建立されて、
ここから人類光明化運動は飛躍的に
発展することになるのだということを聞かされていた。
私が行った時はまだ大きなお宮は建ってはいなかったが、
山崩しの献労が勇ましく盛んに行われていた。

あれから三十三年過(た)った。 宝蔵神社が出来、
精霊招魂神社が建ち、入龍宮幽斎殿が建立され、
更に全国流産児無縁霊供養塔、末一稲荷神社の建立と、
宇治別格本山は大きく発展し、
生長の家の御教えは世界中に伸びひろがった。
私個人もまた、生長の家の大神様の大愛に護られて、
私の先祖ともどもに、つつがなく生かされている。
まことにもったいなくも有難いことである。

谷口雅春大聖師は昭和六十年六月十七日に天界に還り昇り給うた。
此の世において為すべきことを成し終えられ、
説くべきことを全て説き終えられて。
今や宇治宝蔵神社に祭られている生長の家の尊き信者一同は、
高い霊界において、更に深い真理を、
大聖師より聴聞しているであろう。そんな気がする。

昭和が終わり、平成の御代となった。今年はその元年である。
時あたかも生長の家の人類光明化運動は、装いも新たに、
今年度は両軸体制元年として出発することになった。

私達は、総裁谷口清超先生の御教えと御指導のもと、
全力を尽くして前進するのみである。 それが宇治を愛する道だと思う。 


 

 

 

 


©生長の家宇治別格本山