『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第33号  平成元年7月1日 

  吾が青春の宇治

   宇治別格本山理事 京都第一教区 教化部長(当時) 山下 佳弘


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きよきまことの神の子の
不屈不撓のたましいを
練成せんと若人は
神をたたえて献労に
まことささげて無我献身
ホラエイ、ホラエイ、エイエイエイ、
(練成献身譜より)

青春の真夏に汗を流した。それは、山紫水明の地、宇治。
この山王山の奥域にこだまするほど、
“ありがとうございます ありがとうございます”
と、声を限りに感謝の言葉を誦行しながら流した汗だった。

目前の山を崩して、ここにお宮を建てるということは知ったが、
今思えば、谷口雅春大聖師様の宇治別格本山宝蔵神社建立の
意義も充分に判らないまま、ただ献労に一所懸命
“ホラエイ、ホラエイ、エイエイエイ”と献身していた。
練成献身譜の歌を唱い、
焼けつく陽射しを浴びながら無心に汗を流した、
青春のこの時が宇治別格本山との魂の出会いの日でもあった。

“ありがとうございます、ありがとうございます”
と唱え続けていた時、 言葉でいいえないほどの喜こびの感動と
父母に対する感謝の念いが湧いてきて、
止めどもなく涙があふれてきた。
今まで感じたこともない体験、自分は生きているのではない、
“生かされ、愛されている”という実感の涙でもあった。

父母や御先祖様のお蔭で自分の生命があり、
その生命は永遠生き通しの神様の生命そのものであるということ、
練成会の講話で学んだ人間神の子の真理を、
献労という行でもって全身心でうけ、
新たなる神の子への生れかわりをこの時初めて自覚できた。

それ以来宇治は、
私にとって青春時代よりの心の支えとなっている魂のふる里である。
宇治別格本山、開山三十五年を迎えた平成元年。
今日迄幾百万人の人々がこの聖地で救われたことであろうか。

開山三十五年の節目、練成道場の開設をはじめ、
大聖師様が本尊曼荼羅として
「生長の家大神、大国主命、観世音菩薩、地蔵大菩薩、
阿彌陀如来」 の御降臨を請い奉り、
宝蔵神社に祭祀され諸霊の導きを給わん事を祈られた建立の意義。

全国流産児無縁霊供養塔、精霊招魂神社、入龍宮幽斎殿、
末一稲荷神社建立の意義を心にしっかりとうけとめた時、
開山造成の献労に御奉仕できたことの喜こびと誇りを今しみじみと感じている。

二十一世紀は“生長の家の世紀として全世界を光明化する
ということになるのであります”との総裁谷口清超先生のお言葉の実現にむけて、
宇治で救われ宇治を愛する信徒の一人としての
直心を捧げていきたいと念願している。

先祖供養、流産児供養への関心が強くなりつつある今日の状況の中で、
宇治別格本山の使命は大きい。
普及誌と機関誌による両軸体制の新しい文書伝道によって、
世界各地から人々が人種を宗派を超えて、
宇治別格本山を陸続と訪づれてくる日は近いのではないだろうか。


 

 

 

 


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