『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第37  平成2年7月1日 

  新生の聖地宇治に学ぶ
   滋賀教区教化部長(当時) 高木 榮作


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昭和二十九年まだ残暑きびしい九月、
私にとって永遠に忘れることの出来ない
第一回宇治練成会に参加したのが入信の第一歩でした。

当時まだ十代だった私は、
唯物思想の中からどうしても真の人生の意義が解らず、
悩みの毎日でした。

そんなある日近所の人から生長の家の話を
聞いてみないかとすすめられ練成を受けたのでしたが、
初めは反対していたのです。
話を聞いたり本を読むだけでどうして病気や不幸や悩みが消えるのかと。

でも行事が進むにしたがい学ぶことがありました。
それは「働く喜び」を教えられたのです。
当時の練成は一日中献労ばかりでした。

何のために、どうして奉納金まで納めて
毎日重労働せねばならないのかと疑問でしたが、
責任者であった今長老の徳久先生が皆の先頭に立っていつも
「ありがとうございます、ありがとうございます」
とある時は裸かになり汗を流して献労される先生に頭が下がり、
真理とは理屈や知識ではなくからだ全体で体得するものだ
と把握することが出来ました。

働くとは、はた(周囲)を楽にすること、
社会に貢献することが人生に最大の生甲斐であり、
人間が地上に誕生した使命だ!!
と実感することが出来た時のよろこびは筆舌に尽くせぬ法悦でした。

『続々甘露の法雨』の中に―汝ら常に愛し、感謝し、
悦びて公の仕事にいそしめば、
すべての病は汝を冒すこと能はず…… ― と示されています。

人間の幸せは、唯物的環境とか職業等にあるのではなく
今与えられている処で“無我献身”働くことが
一切の病気(身体の悩み)が消え、幸福そのものであると学び、
以来今日まで人類光明化運動に邁進させて頂いてまいりました。

幸い近畿の地にいて宇治に最も近いため、あらゆる会議等に出席出来、
第一回の宇治練成会に一緒に連れて来てくれた父をはじめ、
ご先祖は永代に祀られ、兄弟そして子供達もそれぞれ
練成を受けることが出来たのもご先祖の徳と両親のおかげ、
そして日の本の国に生を受けることが出来たからと、
身土不二“孝”という字は土より生まれたる“子”の意味の合字と大聖師より学び、
宇治練成会によって親孝行の尊さを実感することが出来ました。

今ペンを取りながら三十数年前を思い越し、
最高の真理を学ぶことが出来る幸せを唯々感謝しつつ、
私にとって宇治こそ魂のふるさとであり、新生の地であります。

今後益々聖地宇治の発展をお祈り致します。

 

 

 

 

 


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