『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第5号  昭和55年9月10日 

 第一回 林間特別大講習会の思い出

広島県教化部長(当時)  人見米吉
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 空はどんよりしている。今にも雨が降りそうである。唯々雨の降らぬことを祈った。
それはまだ道場が無い時代に催された昭和二十八年八月 
第一回 生長の家宇治別格本山 林間 特別 大講習会 の或る日のことである。

 八月の太陽はクヌギ林の間を刺し貫くように厳しく照る。
やっと一つのテントが張られそこに演壇が設けられた。あとは林間である。
雨が降れば降るにまかせる以外ない。だから祈った。 

併し雨が降り出した。

 受講者達は持参した傘を開いた。遠方から来た人には地元の人達の
愛念によって貸傘が与えられ、一本の傘の中に寄添うようにして御講義を拝聴した。
誰一人として帰る者も不平を云う者も無かった。

雨は暫くして止んだ。

 木々の合間をさす薄日は黄金色であった。緑の風が通り過ぎて行くとき、
誰もが心の中の全ての迷妄が吹洗われていったかのように輝いた表情であった。

 当時はまだ道場も無い時代であったので、一切の準備計画は地元宇治の
誌友さんと京都教化部が受持った。

 私は今迄比叡山延暦寺宿院の設備が調った会場以外で宿泊しての講習会の
体験が無かったので、全国に宣伝して報告して下さる人員は必ず参加される
ものとして一切の交渉を進めて行った。

 併し当日になると全然当てがはずれてしまった。
その時はまだお米が必要な時であったので、持参された米を受取り、宿泊される
旅館へ運ぶのだが、予約されても参拝しない県や、予約以上来られても同じ旅館で
ないと厭だと云われたりして、布団が足らぬ所や、蚊が出るからカヤを交渉してくれ
とか、又人数の不足の旅館から準備したものが無駄になる。
どうしてくれるのかと叱られたり、詫びに廻るやら、布団、カヤ、米を配達するやらで
散々であった。

 御講義が終わった後、現理事長和田先生等も走り廻って下さった。
全員汗みどろとなって動き廻った。今考えても何をしたか覚えがない。
唯その場その場で出て来る問題を解決して行っただけであった。
それが終わった時はすべての人が寝しずまった頃であった。

 夕食も風呂に入ることも忘れ、ヘトヘトになって天井を見上げ、大の字になって
寝ころんだことを覚えている。 完全に失敗であった。それでも講習会が終わった時は
不思議に身も心もさわやかであった。

 まだ病身の抜け切っていなかったあの当時の私が、よくまああれだけの力が
どこから出て来たのか不思議であった。大神様の御加護なくしては完全に
つとまらなかったであろう。

 反省会の時、こんなことでは遠方から来られる受講者の人に申訳が無いと、
翌年から近畿が協力して運営することになり現在に至った。
それから今は九州の総本山に移動した、あの道場が二十九年七月に建てられた。
その奥の一室に吉田現常任理事が唯一人で長い間留守をされていた。
それで京都教化部の御手伝いは手を引いたのである。


宇治別格本山は私にとって忘れることの出来ない、尊い浄めの道場である。


 

 

 

 


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