『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第45  平成4年6月20日 

  喜びと感動の“大祭”
   生長の家理事 岡山教区教化部長(当時) 安東 巖


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宇治別格本山に初めて参拝したのは、昭和四十一年、
私が長崎大学に入学した年の冬季大学生練成会でありました。
以来、生学連や青年会の行事のたびに数え切れぬ程の参拝を致しましたが、
宇治別格本山の真実の有り難さ、しみじみと味わったのは、
教化部長を拝命して初の神官奉仕をさせて頂いた
盂蘭盆供養大祭の時でありました。

大祭は、過去一年にわたり供養を受けた
霊牌三百万柱の“みたまぬきの儀”に始まり、
宝蔵神社霊殿から浄火場への奉送、そして“浄火の儀”、
次に全国から寄せられた新たな霊牌への“招霊祭”そして霊殿への安置と、
一巻の絵巻物をくりひろげるように厳かに続くわけですが、
中でもとりわけ、印象深かったのは“浄火の儀”でありました。

さんさんと降りくる太陽のもと、聖経“甘露の法雨”
の一斉読誦がはじまると中庭に積み重ねられた
三百万柱の霊牌に火がつけられます。
吹き上がる紅蓮の炎、
それは霊界に逝きし人々の一切の業を焼き尽くす神火でしょうか。

うつし世に
のこせし悩み苦しみも
焼き尽くすがに
紅き火燃ゆる

その火を排しながら、
ああ!!亡き父が喜んでいる、先祖が喜んでいる、すべての霊が喜んでいる、
と表現しがたき感動が身を包み聖経を持った手に涙が落ちました。

浄火の儀おえて
清しき道すがら
つくつく法師なく
経を誦すごと

奉仕を終え、清々しい思持ちで坂を下りるとそこは蝉しぐれ、
まるでお経のようでありました。
その時私は“宇治での供養こそ先祖にとっての最高の喜びである”
ことを実感したのです。

その翌年です。故郷の佐賀の姉(兄嫁)が、
原因不明の顔面マヒとなり、九大病院に入院しても、
半年たっても、癒えず困っていたところ、
ある日の朝突然病が消えたというのです。

それは、当時私が赴任していた徳島から、
長年心にかかっていた父、父の先妻、
兄等の永代供養の申し込みをした日の出来事でありました。
勿論私は、実家の姉が入院して困っているなど露知らぬまま
永代供養を申し込んだのですが、
その偶然とはいえぬ符合に“先祖は生きている”
“宇治は生長の家の仏間である”との実感更に深くした事でした。

私が今日、わが岡山教区で先祖供養に力を入れさせて頂くのは、
又『講習会受講券祈願祭』を信徒七00名と共に
必ずここ宇治の地でとり行わせて頂くのは、先の喜びの体験故であります。

ただただ感謝合掌させて頂く次第です。

 

 

 

 

 


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