100,長男の酒乱が治る

                       M.Sさん 「宝蔵」第106号より  2008年7月12日更新

27才の長男の酒乱が治るように神癒祈願をお願いしておりましたが、成就しましたので御礼申し上げます。
普段はまじめでおとなしい長男は、20才頃より酒を飲むと、まるで人が変わったように誰彼構わずけんかはするし、暴力をふるって他人に迷惑をかけることが多くありました。時には、警察に一晩、泊められてくることもありました。しかし、翌日になると前夜の記憶は全くなき状態なのです。7年間というもの、本人も苦しかったでしょうが、心配で心配で仕方がありませんでした。
5月に及川先生に個人指導を受けました。先生は「身内の方で酒を飲みたいが、飲めずになくなった人がいるはずです。その人を丁重に供養しなさい」と言われました。主人に話しましたら、主人の長男が大のお酒好きでしたが、南方の戦地で若くして戦死していました。早速、先生に教えられたように仏前に酒を供えて一ヶ月間、時間を定めて心より供養しました。供養を始めた頃より、長男の酒を飲む回数が少なくなり以前と違って楽しいお酒を飲むように変わってきました。一ヶ月間の供養を過ぎた現在では、あれほどひどかった酒乱はすっかり治ってしまいました。
それから不思議なことに、素晴らしい縁談が長男に次々と来るようになりました。きっとステキなお嫁さんが我が家に来ることになるでしょう。この様に家族一同が幸せに生活出来るのも、生長の家の御教えと神癒祈願のお蔭と感謝申し上げます。これからは多くの人に真理を伝道して参ります。

99,難関の資格試験に合格

                        I.Yさん 「宝蔵」第104号より  2008年7月12日更新

私はある大手の日本語学校の教師を長年しております。外国人、特にフィリピン、タイ、台湾、韓国等の留学生が1年から1年半くらい私の学校で日本語を勉強して日本の大学や大学院に入学出来るような実力を付けて、授業や研究に必要な日本語をマスターして頂けるように教えています。
7年前より文部省(平成6年当時)の指導で、日本語学校の教師になるには資格試験(正式には日本語教育能力検定試験)を受験し、合格者に対して文部省が認定することになっております。試験内容は言語学から社会心理学まで広範囲で高度の専門知識を必要としておりますので、毎年の合格率は15%~18%くらいのとても難しい資格試験です。私も毎年この試験にチャレンジしておりましたが、7年目の今年、神癒祈願のお蔭で見事合格することが出来ました。20数年来の恩人が、私の受験のために宇治の神癒祈願を申し込んで下さっていたのです。
生長の家の御教えと神癒祈願のお蔭で、7年目(完成の年)の今年に合格出来ましたのも不思議なご縁と感謝申し上げます。今後は生長の家の国際平和信仰運動の一翼を担うべく、外国人の学生に正しい日本語を教えると共に生長の家の御教えを伝えてゆきたいと念願しております。

98,120パーセントの就職祈願成就

                      S.Hさん 「宝蔵」第148号より  2008年7月7日更新

合掌 ありがとうございます。定年退職後に勤めていた会社の社長が詐欺事件を起こして地元の警察に捕まり、新聞にも大きく書き立てられてしまいました。会社は解散、祈って祈って与えられた職場だったのになんとしたことか……と親友の地方講師に話をしたところ、早速新しい勤め先をと、宇治別格本山に神癒祈願を申し込んで下さっておりました。
わたしはそのことを知りませんでした。私自身は次の仕事を探さなければと思っておりましたが、まだ行動には移しておりませんでした。ところが、いつも何かあると祈る私ですのに、祈る間も必要ない程の早さでもう次の仕事が見つかりました。早速履歴書持参で面接を受けましたところ、即採用ということで12月11日より勤務が始まりました。
神様の御心に叶った、私の分に適し、多くの人に喜ばれ、私の魂も喜べる仕事で、光明化運動に差し障りのない時間というのが私の仕事を得る時の願いでしたが、その願いは120パーセント叶えられました。家から30分で通勤出来き、また光明化運動に必要な時はお休みも頂けます。現在張り切っております。因みに私は今年65才になりました。唯々感謝合掌でございます。ありがとうございます。

97,左大腿骨骨折を期に神の子として新生

                         T.Hさん 「宝蔵」第39号より  2008年7月7日更新

 10月24日に知人の方が左大腿骨骨折で入院、手術をされまして、神癒祈願をお願い致しましたが、経過もよく、簡単に経過の報告をさせて頂きます。
その方は私の娘の水泳のコーチでらっしゃいまして、水泳のみならず勉強や生活面でもとてもお世話になっている方です。事故の当日もスケートに連れて行って頂きまして、娘達の目の前で氷に滑り骨折されました。そんな訳で聖使命会員さんではありませんでしたが、急ぎ神癒祈願をお願いし、聖経『甘露の法雨』と『生命の實相』第一巻を持ってお見舞い致しました。人型は気を遣われないよう私が預かっておりました。
手術の痛みも落ち着いた頃から、むさぼるように聖典を読まれ、次々に所望されまして、今ではすっかり安心の心境に到達しておられます。医者に許されていない歩行練習もどんどん一人でされ、もう松葉杖を取っての練習に移っておられます。何よりも、こんな機会を与えられたと、転んだことを喜んでおられるので、私もびっくりする程です。まだ退院まではいきませんが、すっかり新生された姿を見て、神癒祈願のおかげと感謝の気持ちでいっぱいです。骨折された日がその方の誕生日であったことも後で聞き、まさに「生まれ変わり」であったと感動致しました。
祈願に携わってくださいました先生方に厚く御礼申し上げます。

96,腎臓ガンが消えた

                  T.Hさん 「宝蔵」第273号(最新号)より  2008年7月2日更新

 合掌ありがとうございます。私は昨年(平成19年)12月8日に両方の腎臓がガンにかかっていると診断された。又、12月11日には電話で両方の腎臓を切除するその時、血液透析を受けている身体であるので、血圧が急低下する可能性がある。要するに手術中に死亡する可能性もあると云われたのである。早速、宇治別格本山に祈願書を提出した。その祈願書に私は次のように書いた。
「もう一度、再検査をして頂いて、出来ることならガンでありませんように。またガンであるならば、速やかに除去手術を行って下さい。」
宇治別格本山から届いたお札を両手にはさみ、「私は神の子、病なし」を言い続けた。ある日、仏壇で『甘露の法雨』を唱えていると不思議な現象が起こった。私の身体に一寸(いっすん)程度に切った稲わらが沢山付いており、それが私の身体からバラバラと落ちて行く様子がありありと見えたのであった。これはもちろん一時的に霊眼が開けたものと思われる。
病院から電話があり、12月18日に入院することになった。その時、私は今年(平成20年)の正月は病院暮らしかなあと思っていた。12月18日の朝9時30分頃から再検査の準備が始まった。医師は、「ガンが転移していても腎臓だけは切除しますから。」と言いながら造影剤を入れるための準備をした。私は血液透析を受けている身体なので、X線CT検査後、直ちに透析室に行き透析により造影剤を身体から除いてもらった。病室に戻って来たのは確か午後一時頃だった。不安な気持ちで検査結果を待っていた。
午後2時40分頃であった。主治医が飛んで来て、「ガンではなかった!」と言った。私はきつねにつままれたように感じた。付き添っていてくれた妻と病室で抱き合った。嬉しい!でも、医師は次のように言った。「まだ疑わしいので、平成20年2月29日に再度検査をします。」翌日12月19日退院した。私は「ガンではない。あったガンが消えたのかもしれない!」と思った。12月8日のX線写真は私自身でも「ガン」と思ったものである。それが無くなっていた。
平成20年2月29日に再々度の検査を行った。その日医師は私にX線、CT写真を見せてくれた。私は見た。前にあったコブのようなものがない!そのかわり、石灰沈着のようなものが少しあることがわかった。すなわち、2月29日の3度目の検査結果も「ガンではなかった」のである。

95,仕事は神様が与えてくださる

                        E.Yさん 「宝蔵」第145号より  2008年7月2日更新

今回で2回の神癒祈願をお願い致します。建設業をしていまして、昨年1月頃から仕事が少なく借金が増すばかりでした。請け負った病院の改修工事の支払いが受けられず、手形をきるために方々から借りられるだけのお金を借りて、借金は7千万円にもなっていました。そのような状況の中で夫婦の間も不調和になり悩んでおりましたが、3月15日に神癒祈願を申し込みましたところ、申し込んで5日くらいの内に、ある専門学校から一億もの仕事が突然に入りました。私どものような個人企業に入札も何もなくしかも現金支払いという、神様が与えて下さったお仕事としか思えない工事依頼でした。
頂いた神癒人型は事務所の神棚に供え、毎日神想観、聖経読誦を行じさせて頂きました。無神論者の主人も、毎朝神棚にお水を上げ、お香を焚いて合掌してくれるようにもなりました。神様に護られて導かれて、その後も順調にお仕事を頂き、お金も回るようになりまして借入金も返済出来るようになりました。夜も眠られない苦しい日々を送っていましたことを思いますと、夢のようで嬉しくて、今は他の業者の繁栄を祈る余裕も出来ました。本当にありがとうございます。
「すべて善くなる、必ず善くなる、絶対善くなる」と毎朝声に出して言っております。息子も「栄える会」に入会させて頂きまして頑張っております。ありがとうございます。

94,孫が公認会計士に合格!

                       T.Mさん 「宝蔵」第110号より  2008年6月29日更新

この度、神癒祈願のお蔭で、孫が公認会計士の国家試験に合格出来ましたので、御礼申し上げます。
孫は京都大学の法科に在学中ですが、公認会計士の資格を取りたいと言いますので、学生時代は何でも勉強することはよいことだと賛成しまして、早速今年の2月より宇治の神癒祈願を毎月お願い致しておりました。
10月5日に最終の3次試験の発表があり、見事合格出来ました。孫の話では受験のために勉強していた箇所が、次々と試験問題に出てくるので不思議で仕方がなかったと言っております。又、友達や先生方も「経済学科の学生ならともかく、法科の学生が在学中に合格出来たのは運が良いなぁ」と喜んで下さったそうです。
これも生長の家の御教えと神癒祈願の賜物と心より感謝申し上げます。

93,夫の両肺気胸と神想観

                       M.Mさん 「宝蔵」第67号より  2008年6月29日更新 

去る11月30日、急に夫が息苦しくなりました。私はすぐに電話で神癒祈願を申し込ませて頂きました。救急病院へ行きましたところ「気胸」と診断されました。その場で右肺にチューブを入れられました。その夜は痛んで苦しみました。3日目にレントゲンの結果、「左肺にも空気がもれている。このままでは大変なことになる」と言われまして、再び手術。両肺にチューブを入れられました。
片肺の方は段々と入院しておられますが、両肺の人は滅多にないそうです。何しろ夫は65才なので、体力的にもそれはそれは大変でございました。2回目の時は悲しさの余り、夫の目には涙が光っていました。「お父さん、神様がちゃんと守って下さるからね。大丈夫、頑張って下さいね」と励ましました。
個室に21日間おりました。その間、私はずっと付き添いました。夫が眠っている間に、神想観を致しました。神様の生命を私の胸一杯に吸い込んで、その息を夫の点滴を通して肺の中に送りました。21日間、時間のあるかぎり行いました。ある日「ぱっ」と目の前が明るくなるのを感じました。後日右肺から針で液を吸い出しました。1リットルほども出ました。それから肺がふくらんできました。「神様がこの病室にいらっしゃって下さる。私は夫にうつすのだ」と思いますと、ちっとも疲れませんでした。神業でした。自分でも不思議なくらいでした。
両肺のチューブが取り外されてからは楽になりまして、22日目に4人部屋に移りました。それからはぐんぐんと快方に向かいました。45日間の病院生活が終わって退院。家庭で養正しております。これも神癒のお蔭だと感謝しています。

92,卵巣に水がたまる

                       O.Yさん 「宝蔵」第44号より  2008年6月23日更新

2月末にお医者様に診察して頂きまして、卵巣に水が溜まっていて手術しなくてはいけないとのこと、びっくり致しました。
地元支部の方にお話を致し、宇治へ神癒祈願をお願いすることになり、聖経『甘露の法雨』をサラシに書き、身体に巻き、毎夜聖経『甘露の法雨』を読誦してご先祖様に感謝致し、祈願中の心得とその方がメモして下さっているのを、実行するよう努力致しました。
2度目にお医者に参りました時「1cm位小さくなっているので、手術は急がなくてもいいでしょう」といわれました。その後に参りました時、先生が何か手間いれて、診ていて下さいまして、「たしかにあったのですが、ないのです」といわれ「影はあるのですよ」と言って下さいました。嬉しくて「實相円満完全。ありがとうございます」と独りでに言ってしまいました。
そして2週間後に参りましたら「影もない」といわれました。本当にひどいおりものでしたのにありがとうございました。

91,数々の奇蹟

                        T.Yさん 「宝蔵」第47号より  2008年6月23日更新

7月1日夕刻火傷にて、80才の母が救急病院に入院。すぐに神癒祈願をお願いしましたが、入院直後、ぼけ状態が出て来まして大変と思い、7月6日、再度神癒祈願をお願いしましたら、5日間位、おかしな大変な状態でしたが、祈願申込みの人型が到着するやいなや、正気に戻り本当にありがとうございます。
お蔭で火傷の方も日一日と良くなっております。只、心臓発作を起こしまして、又集中治療室に戻り「こわいこわい」と申しますので、再々度祈願をお願いします。ところが、この様に祈願のお願いを手紙に書いております内に、あれ程痛がり、怖がってました母が、今日はすっきりと楽しそうで、心電図も外して頂き、看護師さんも「今日はすっきりと楽しそうだね」と言い、忽念とよくなりました。

90,良縁成就

                        I.Yさん 「宝蔵」第105号より  2008年6月19日更新

“良縁成就”の神癒祈願をお願い致しておりましたが、この度本当に素晴らしい方とご縁を頂き、9月に結婚することに決まりました。
4月に及川先生の個人指導を受けました。これまでの私の人生は、好きな男性が現れては付き合い、いざ結婚となると別れてしまう……という事の繰り返しでした。先生は「生みの親に感謝出来ない女性は、幸せな結婚は出来ない。父を赦し、感謝の供養をしなさい」といわれました。家に帰ってから仏前で聖経を誦げておりますと、父は天国からいつも私を見守ってくれていたんだと気がつき、父親の大愛がひしひしと実感されました。父に心より感謝の供養をし、神癒祈願を合掌に挟んで「既に良縁成就せり」との、神想観の毎日でした。
不思議なご縁で素晴らしい方と結婚出来ますのも、生長の家の御教えと神癒祈願のお蔭と心より感謝申し上げます。

89,尿道狭窄の神癒と職場復帰

                        N.Tさん 「宝蔵」第40号より  2008年6月19日更新

私は東京に本社のある運送会社に勤務しておる者であります。
昭和60年10月、会社の仕事先において作業中工場の高いところより転落し、骨盤の骨折をはじめ、内臓の一部も痛めるという労災事故に遭い、3年以上も会社を休務しております。現在は地元の病院に通院してリハビリに頑張っております。骨盤の骨折はじめ、整形的には骨は割合早く恢復致しましたが、内臓の一部と尿管の一部をけがした時に痛めて、その時点より3年間、膀胱より人工管を入れての生活であり、風呂も浴れず、苦しんでおり、その間尿道の手術を4回も受けましたが、完治しないため悩んでおり、5回目の手術を11月に受けました。
その手術を受ける前10日に本年2回目の神癒祈願を地元の地方講師の先生がお手続きをして下さいました。そして今度こそ手術が成功しなければと思って家でも朝夕、聖経『甘露の法雨』を読誦しておりましたが、入院の際、聖経と人型、お守りを持って入院し、毎朝夕、聖経『甘露の法雨』を病床にて読誦しておりました。手術の当日、手術の時刻と合わせてその地方講師の先生が一所懸命に神想観と聖経読誦を行って下さいました。
その結果12月4日担当の医師が尿管を抜きましたところ、3年間も苦しんで悩んでいた尿道が完治、怪我をする以前の状態に回復致しました。5回も受けた手術が成功して、職場復帰も間近になり喜んでおります。これも神癒祈願のお蔭と心より感謝いたしております。

88,登校拒否の息子が…

                        H.Rさん 「宝蔵」第115号より  2008年6月15日更新

この度、神癒祈願のお蔭で、5年間続いた息子の登校拒否が治りまして、無事高校を卒業することができましたので御礼申し上げます。
息子は中学2年生の11月頃から登校拒否が始まりまして、学校へ行ったり休んだりの繰り返しでした。中学を卒業し高校に入学しましたが、その後も同じ事の繰り返しで学校へ行ったり休んだりの状態でした。そして高校2年生の時は出席日数が足りなくて留年しました。このことで家族みんなとても悩みました。2年生をもう一年間やり直し、3年生に進級しても相変わらず登校拒否の状態でした。その頃、友人より生長の家を知らされ、宇治の神癒祈願を毎月申し込んでおりました。
昨年11月に母親の私が宇治の短期練成会に参加させて頂きました。練成中では息子の實相直視の大切さや先祖供養の素晴らしさを学びました。さらに早朝行事の時の集団神癒祈願の祈りの際は、真剣に息子の實相を祈りました。練成会より帰宅した翌日より、息子は一日も休まず、そして遅刻一つせず登校するようになりました。そして今年の3月に無事、高校を卒業することが出来ました。 今までは元気に張り切って来年の大学受験に向けて進学塾に通っております。
5年間も息子の登校拒否に悩まされましたが、息子がここまでも立ち直ってくれましたのも、神癒祈願の賜物と心より感謝申し上げます。

87,高齢の母、腸捻転癒ゆ

                        F.Kさん 「宝蔵」第39号より  2008年6月15日更新

私の母は83才で、8月初め頃から食事が全然取れなくなり入院しました。医師はそのとき「お迎えが近いかも知れませんよ……」と言っていました。しかし治療の甲斐あって9月中旬退院許可が出ました。その矢先、転倒し再度食事を受け付けなくなりました。9月18日に食事もとらないのに戻すようになり、鼻から管を通し、注射器で吸い出さなければならなくなりました。9月20日レントゲンの結果、腸捻転と判りました。医師からは「手術しなければ命に関わる。早速今日午後手術を行うから、昼までにその意思を決定するように」と宣告され、最悪の状態になりました。
相談の結果、年だからいたずらに苦しませて、その上死なせる恐れがあるとの判断から手術は見送ることにしました。このときは完全に死の覚悟をしました。直ちに神癒祈願をお願いして、9月27日お守りの人型が到着。本人に持たせるのと同時に懸命に神想観をして、「人間神の子 ・肉体なし、病なし」の實相顕現に努めると共に、聖経『甘露の法雨』を読誦しました。すると、9月30日になって腹が鳴り出し、僅かではあるが、ガスと便が出て参りました。10日間も腸が閉塞していたものが、医学的に何らの処置も行わず腸が通り出し、全く不思議でなりません。「愁眉を開いた」とはこのことです。
また神癒祈願をする迄は、長い間ベッドで生活しているので、床ずれし、腰や背中が痛んで困っていたのですが、これを期に殆ど痛まなくなりました。もう一つ不思議なことに腹痛もありませんでした。その後順調な回復を辿り、11月初め退院しました。今度は左足首が思うように動かなくなり、再度継続して祈願をお願いしましたところ、足も動くようになって、目下歩行訓練をしております。
今にしてあの当時のことを思い起こしてみまして、不思議といえることが続発しました。    再拝

86,糖尿病の疑い消える

                        U.Mさん 「宝蔵」第151号より  2008年6月7日更新

結論から申し上げますと、病気は消えてしまっていました。
今年に入ってから体調がすぐれず、2月13日県立病院で診察を受けましたところ、糖尿病の疑いがあるとのことでした。「一週間後の精密検査の結果次第では、一ヶ月くらいの入院を要するかもしれない」と言われましたので、翌日に早速、神癒祈願をお願い申し上げました。
ところが祈願をお願い申し上げました次の日の晩、自分の内からふっと「いったい病気になっているのは誰なのか。自分は神の子であるから病気になる筈はない。それでは肉体が病んでいるのか。しかし肉体は無であるから病む筈はない。とすれば無いものが病気になっているのであったか」という思いが浮かんできた瞬間、「消えたな」と思いました。そして届けて頂いた神癒人型を両手に挟んで毎日嬉しく神想観を致しました。
勿論、一週間後の結果は何ともなく、もう一度半月後に来るようにとのことで病院へ参りましたが、はやり何ともありませんでした。
生長の家には昭和22年に入信し、『生命の實相』は読ませて頂いておりましたが、近年は何かもやもやとした気持ちで心が晴れずにおりましたのが、「神の子の自覚」が新たに甦って、何で何年も悩んでいたのだろうかと不思議な気がします。この自覚こそ、神癒祈願の功徳だと心より感謝いたしております。本当にありがとうございました。

85,今日か明日かの生命

                         S.Hさん 「宝蔵」第50号より  2008年6月7日更新

私の祖母は9年前に脳溢血で倒れて、植物人間の状態でしたが、8月29日に危篤状態になり、今日か明日かの生命と言われるようになったので、神癒祈願を受けることに致しました。
結果から言いますと、本当に不思議ですが、病室に設置されている心拍数、呼吸数が異常な数を示していて、院長先生にも「あとわずかだ」と話されるような病状になっていました。神癒人型が届いてから、聖経読誦をそう長時間はすることができませんでしたが、なるべく一日一回は行ずる様に努力した結果、祖母は流動食がとれる様になり、便も普通になって、毎日毎晩付き添いを必要としていた付き添いも、とりあえずつかなくてもよい状態にまで回復しました。
私自身妊娠二ヶ月半でつわりがひどく、熱心に聖経読誦を行ずることも少し無理な状態でした。きっとここまで回復できたのも、神癒祈願が神様に通じたのではないかと感謝いたしています。

84,主人の喉頭癌癒ゆ

                         K.Kさん 「宝蔵」第91号より  2008年6月3日更新

2月23日、主人の体調が悪かったので近くの病院へ行きました。診察後、医師に呼ばれ「ご主人は喉頭癌です。即入院して下さい」と言われました。そして「当病院では手に負えないので大きな病院を紹介するからそちらへ行って下さい」と大学病院を紹介されました。
3月4日に入院し、各種検査の結果、3月10日に1度目の手術をすることに決定しました。患部の細胞を切除し、精密検査した結果「ご主人は進行性の喉頭癌です」と医師より宣告されました。早速、宇治の神癒祈願を申し込みました。
私は、主人の発病以来どんなに忙しくとも、どんなに疲れておりましても、心を込めて一所懸命に先祖供養をしました。また、神想観の際には神様の御光を受けて主人の全身が光り輝き、患部はその霊光によって消滅していると観じておりました。さらに、治療や手術して下さる医師の方々は、世界一の名医で神様が遣わされ給うた天使であり、神様の光のメスで手術して下さるのだから、病気は既に消滅しましたとの感謝の祈りも続けておりました。
3月30日、2回目の手術の予定でした。医師に「声帯も取らなければならないでしょう」と言われていました。しかし、再び細胞検査の結果「不思議だ。ガン細胞は消えて見当たりません。もう手術しなくてもよろしいです」と医師に言われました。その後の経過も良く、4月10日に無事退院することができました。2カ所の病院での細胞検査で、はっきり「喉頭癌です」と宣告されておりましたのが、神癒祈願のお蔭で癌細胞は消えてしまいました。

83,長男が教員採用試験に合格

                        Y.Nさん 「宝蔵」第220号より  2008年6月3日更新

合掌 ありがとうございます。本日は皆様に御礼申し上げたくて筆をとりました。
私の長男は、4つの県の教員採用試験を受けたのですが、3つとも不採用になりました。その時私はまだ長男の神癒祈願をしていなかったことに気づき、急いで10月17日に申し込みました。そして残るあとひとつの市の教員採用試験を受験し、結果待ちとなりました。私は毎日神想観実修、聖経『甘露の法雨』読誦をさせて頂きました。
11月5日合格発表がありました。長男がインターネットで調べたところ、名前や番号の発表はなく「450名中、2名の合格」とのみあったそうです。長男は「まさか2名の中に入っていることはないだろう」とがっかりして帰宅し、夕食もとらずに部屋に戻ってしまいました。私も負けそうになる心を抑えながら、必死で神想観を実修し、聖経『甘露の法雨』を読誦し、亡き母に祈っていました。
翌日、郵便物に市の教育委員会からのものがありました。その分厚い封書に「合格だ!」と私は叫んで、息子の帰りを待ちこがれました。「早く帰ってこ~い」と心の中で叫んでいました。帰宅した長男は、見たこともないような真剣な面持ちで開封し「合格!!」とガッツポーズ。本当に二人で飛び上がりました。実は長男がお付き合いしている女性も9月の時点で、同じ県の教員採用試験に内定を頂いていたものですから、二人の歓びようは涙が出る思いでした。
そしてまた嬉しいことに、次男も国家公務員の内定を頂きました。わが家では次々と吉報を頂きまして、誠にありがとうございます。家族中、生長の家の大神様、御先祖様の御力の賜物と、心より感激しております。ありがとうございます。合掌再拝

82,尿管結石が消えた

                        B.Tさん 「宝蔵」第265号より  2008年5月28日更新

合掌ありがとうございます。平成19年7月下旬より尿の出が悪く、徳洲会病院で調べましたところ、尿管に結石が詰まっています。それも直径が5ミリ位あるとの事でした。レントゲン写真で見ますと、はっきり写っていました。
その後、20日に1回程度の診察を繰り返していました。その間、神想観・聖経読誦を続けておりました。でも、やはり神癒祈願をお願いしようと思い、お願い致しました。
診察の結果、10月9日より3日間入院して結石破砕の手術をすることになり入院しました。翌日手術直前にレントゲン及び腹部のエコーを撮りましたが、結石が無く消えていました。
他の先生も来られて、もう一度エコーを撮りましたが、やはり無くなっていました。担当の先生には、1ヶ月間神癒祈願をおこなった旨を伝えますと、「よかったですね。帰ってもらってもいいですよ。」との事で、何事もなかったように退院して来ました。本当にありがとうございました。
今後は益々人類光明化運動に挺身して参ります。再拝

81,医師国家試験に合格

                        Y.Mさん 「宝蔵」第237号より  2008年5月28日更新

この度、神癒祈願をお願いしておりましたお蔭で、長男の医師国家試験、無事合格致しました。後日国家試験の成績表が送られてきたのですが、いつもの模擬テストの点数より50点も多く、本人も吃驚する程の高得点でした。神様に護って頂いたお蔭で、ここ一番で無限力が出たのだと思います。好成績が取れたことは、これからの自信にも繋がりますので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今は研修医としてかなりハードな様子の毎日ですが、「人間神の子 無限力」で頑張っています。
又、次男のこともずっと祈って頂きありがとうございました。神癒祈願を出し続けたお蔭で、もっとも相応しい道が開いてきました。今までの次男はバンド活動以外には何の希望も持てませんでした。それで私は「神様、息子に素晴らしい道を開いて頂きありがとうございます」と祈り続けました。すると次男に、将来バンド以外にやりたい仕事が見つかりました。私は「神様、ありがとうございます」と心の中で叫び、感謝しました。次男が見つけた大好きな仕事とは、珈琲や喫茶店の仕事だそうです。珈琲が大好きになり、喫茶店が大好きになり「珈琲を入れる仕事が出来たら楽しいだろうな」と本当に思えたそうです。その話を聞いた時、私は「まさに次男にぴったりの仕事だ!」と直感しました。何故なら次男は舌の感覚に天才的なものを持っており、美的感覚もあり、音楽の世界も解り、何より社交的で接客上手だからです。次男の天分にかなった道が開けました。今はバンド活動を続けながら、珈琲の勉強をするそうです。
これからも神癒祈願を出し続けましので、よろしくお願い致します。ありがとうございます。合掌

80,43歳で女児を出産

                        M.Iさん 「宝蔵」第205号より  2008年5月21日更新

平成14年7月12日、3,116gの女児を無事出産しました。42才で妊娠、43歳で第二子を出産しました。8年ぶりのお産でした。
35歳で第一子を出産して以来、3回自然流産をしてしまいました。3回とも6週か7週での流産で、原因は不明でした。3回目の流産をした時は、涙が枯れるまで大声で泣きました。もう完全に赤ちゃんは諦めましたが、主人が「あと一回だけ挑戦してくれ。それでだめだったら諦めるから」と言うのです。年齢的に無理だと思っていましたが、“主人にハイ!”が大切なので、素直に「ハイ!」と言いました。
それから10ヶ月経ってお腹が痛いので、「もしや?」と思って病院に行ってみると、なんと妊娠していたのです。今までのことがあったので、お腹の赤ちゃんが無事に育つかどうかとても不安でした。それで毎月宇治の神癒祈願をお願いしました。3月には、3人の自然流産児の永代供養をさせていただいた後、子宮口を閉じる手術をしました。病院の先生には血液検査・羊水検査をするように勧められましたが、受けませんでした。
私は不思議な体験をしました。7月12日の早朝、上から長方形のようなものが降りてきて、半分に分かれました。一方はそのまま、もう一方は上に上がっていきました。赤ちゃんの魂だと直感しました。そして、その日に帝王切開と決まり、夕方赤ちゃんが生まれました。無事に赤ちゃんが生まれた時の喜びは、涙がポロポロポロポロ。「本当に生まれてきてくれてありがとう。」という心境でした。病院の先生には「全国の43才の女性に夢と希望を与えましたね」と言われました。神癒祈願という素晴らしいお祈りをありがとうございました。

79,意識不明の窮地から救われる

                        S.Iさん 「宝蔵」第207号より  2008年5月21日更新

合掌 ありがとうございます。私の弟(58才)は9月13日の午後、防犯灯の電球を替えるよう町内の地区の人に頼まれ、下見をしに行きました。そして、脚立に上ったところ、3メートルのところで脚立が倒れて、下に転落してしまいました。頭を強打して意識不明となり、救急車で市立総合病院へ運ばれました。
私は、姉として早速弟の嫁と一緒に病院に駆けつけました。そしてお医者様より頭部のレントゲン写真を見せて頂きました。その結果、医師は「首の骨にヒビが入っているし、脳内出血により頭の血が散らばって固まっているので、手術をしなければならない」と言われました。それで早速宇治に神癒祈願をお願いしました。私も5日間、毎朝神想観を実修し、聖経『甘露の法雨』の読誦を行い、弟の實相顕現を祈り、健康回復を祈願しました。そのお蔭でしょうか、これといった異状もおきず、9月23日には、入院10日で手術もせずに退院でき、その後は自宅で療養をしていました。
それから4日後の9月27日、今度はCTを撮りました。そして、私たちの願いは叶えられました。担当の先生が以前(9月13日)のレントゲン写真と今度のCTの結果を見て「こんなことはあり得ない!こんなバカなことがあるのか?脳が正常になっている。とても考えられない」と言って吃驚したそうです。それくらい弟の脳は元の状態にまで回復していたのです。弟は何万人に一人という非常に珍しい血液型でしたので、手術となれば血液を集めるのに一週間はかかっていたそうです。
弟は10月1日より出勤できるまでになりました。生長の家の御教えがあればこそ、私の弟は救われました。心より御礼申し上げます。

78,やり甲斐のある会社に再就職

                        K.Yさん 「宝蔵」第186号より  2008年5月16日更新

合掌 ありがとうございます。長年勤めていた会社が倒産して、色々な会社の面接を受けましたが、全然採用されないまま2年という時間があっという間に過ぎていきました。もうどうして良いのか分からず、最後の手段として娘に相談してみることにしました。娘は青年会で活発に活動していて、光明実践委員なので何か知っているだろうと思ったのです。
早速娘に相談すると「神様にお祈りしているの?」と聞かれました。神社とかは好きだが、正直なところ、あまり宗教に関心が無く、勧められて講習会に参加する程度なので「講習会でよくやるアレか?手を合わせるやつ。俺は出来ん。だが神は信じるよ。」と答えると、「あっ!いいのがあるよ」と娘が引き出しから紙を持ってきました。私「神癒祈願…?なんだこれ?」娘「就職できるように神様にお願いするの。そのかわり、もうすでに就職できたって信じるの。分かった?出来る?」私「分かったよ」ということで手続きを娘に任せ、初めて宇治の神癒祈願に申し込みました。
それから5ヶ月が過ぎた頃、なんと採用され就職出来たのです!! しかも有名な会社に……。神様は本当にいるんだなぁと思いました。毎日仕事を頑張り、明るい気持ちで過ごしていました。ところがです。就職して3ヶ月後、上司から思ってもいない言葉が飛び出しました。私のいる支店の売り上げが悪く、一ヶ月後に閉店することになったのです。正社員は他の店に転勤することになりましたが、私はまだ研修生、正社員には正式になっていません。パートと同じ立場です。
私「また失業するのか……。どうしよう。おまえはどう思う?」 また娘に聞くと、娘「神様を信じるって言ったのは嘘なの?神癒祈願したじゃん!」 私「……」 娘「何でも勉強だよ。きっと神様にも計画があるんじゃないの。どんなときでも神様を信じると、一番良い方向に行くんだよ。だから信じたら?とことん!」 その時は娘の言いたかった神様の計画がよくわからないまま、3週間が過ぎていきました。
今週末に閉店というある日、本部の幹部の人が店に来ました。よく見ると、その中に就職の面接の時にあった人がいました。幹部の人「急で驚かれたでしょう。まだ入社して間もないのに」 私「ええ。びっくりしました。振り出しに戻ってしまいますから、また就職活動しなくてはいけませんね」と苦笑いしていると、幹部の人「何を言っているんです?ここだけの話ですが、あなただけ特別に転勤出来ることが決まったのですよ。このことを伝えるために今日来たのです」 私は本当に信じられませんでした。なかば諦めていた時のこの言葉に、あらためて私は神様を信じてよかった。神様は本当に実在するのだということを実感しました。
そして転勤して新しい店で働いています。前の店より仕事が面白く、仕事のやり甲斐があり、仕事に行くのが楽しくなりました。またバイトやパートや職員と仲良く毎日、仕事を愉快に頑張っています。今やっと、あの時娘の言いたかった事が分かったような気がします。感謝のお礼が言いたくて、今回お手紙を送りました。連休があれば宇治の練成会に行きますので、その時はよろしくお願いいたします。ありがとうございます。感謝合掌。再拝

77,靱帯損傷快癒 バスケットの試合に出場

                        N.Fさん 「宝蔵」第73号より  2008年5月16日更新

8月2日、バスケット部のキャプテンをしている長男が練習中に踵の靱帯損傷をして、即日入院しました。早速、宇治の神癒祈願を申し込みました。9日に手術をし、1週間で退院しました。26日にはギプスを外してもらいました。お医者様より「3ヶ月間は無理をしないで、11月頃より試合にも出られるでしょう」とのことでした。
  しかし、一週間後に大切な試合があり、キャプテンとしての責任感でバスケットの試合に出ました。それ以後息子は痛いとも何とも言わないし、1ヶ月を過ぎても何ともありません。医師も「若いから治りが早いんだなぁ」と驚いております。

76,人型と同時に就職内定

                        Y.Aさん 「宝蔵」第73号より  2008年5月11日更新

コンピューター専門学校に通っている長男の就職が内定致しましたのでご報告致します。
8月、県内の大手コンピューター関係の会社の就職試験を受けましたので、9月の初め神癒祈願を申し込みました。9月6日、神癒人型が我家に着いた日と、会社より電話で内定通知を頂いた日が同じでした。長男でもあるし、是非県内に就職をと願っていましたので、この会社一社に絞り受験しておりましたから喜びはひとしおです。

75,脳内出血の後遺症癒ゆ

                        U.Rさん 「宝蔵」第157号より  2008年5月11日更新

○ 平成10年8月14日の神癒祈願申込書には次のようにありました。

「私の主人は、4月10日脳内出血で入院しました。それを知った生長の家の方が、宇治別格本山に神癒祈願を申し込んで下さいました。お蔭様で感覚言語障害が少しある程度で、身体的にはほぼ正常となられて頂きました。ただ、後遺症として頭痛が今も残っており、横になっていれば治るのですが起き上がると痛くなるので、ただ今も入院生活を余儀なくされています。」

○ 10月7日祈願部に届けられた手紙には、ご主人の脳内出血の後遺症が癒されたお礼の報告がしたためられていました。

「私の主人は、4月10日の入院以来入退院を繰り返し、9月7日、3度目の入院をすることになりました。次女の結納までに癒えたらどんなに有難いかと思って、「すでに癒やされました。ありがとうございます」と祈りました。そして主人の病気について、神癒祈願をしておりましたところ、それまで脳内出血の後遺症の頭痛に苦しんでいましたが、9月15日の満願を迎える前、9月9日忽然と頭痛が消えてしまい、本当に嬉しく思っております。
  9 月7日主人が役場に在職していた時の友人が人づてに入院を知り、病院へ見舞いに来て下さいました。このままではだめになると思われたようでした。お友達の弟さんはお医者さんで、その方を通じて後遺症の研究をしていられるまた別の病院を紹介して下さいました。
  そして2日後の9月9日に市内の神経内科病院で入念に診てもらいました。CT検査をして頂きましたところ、医師から「すぐ退院しなさい。どこも悪くない。普通の生活をして何でも食べなさい」と言われたことで、頭痛が無くなりました。それまでは痛み止めを飲み、寝てばかりいました。食事はおかゆばかり、他の物は何も食べられませんでした。それが9月9日、その日から後遺症の頭痛が消えたのです。
  その友人は、私達のためにわざわざ役場の仕事を休んで、自分の車で朝6時に病院まで出かけてきて下さいました。その方は、仕事上で主人は恩人だからどんなことをしてでも治って元気になって欲しいと本当に一所懸命でした。その方を通じて神様が導いて下さったと思っております。その方の愛念が神様を導いて下さったと思っています。その方の愛の心が神様との波長が合ったのだと思いました。
  これもひとえに神癒祈願のお蔭でございます。私は今回、主人の病気を通して色々と勉強させて頂きました。生長の家にご縁を頂きましたことを深く感謝申し上げます。これからは一人でも多くの方に生長の家を知って頂くために精進したいと思っています。

74,母のくも膜下出血が癒やされた

                        Y.Mさん 「宝蔵」第127号より  2008年5月6日更新

4月24日、母がくも膜下出血を起こし救急車で病院に運ばれました。その夜すぐに神癒祈願をお願いし、私は神様にお任せしたから大丈夫と、安心してグッスリ眠ることが出来ました。お蔭様で翌日には血圧も上がらず、難しいとされていた手術が出来、6時間かかりましたが無事成功し、その日から意識があって話すことが出来る程でした。
そして、集中治療室での3日間に信じられないことが起こりました。母が生長の家のことを話し始めたのです。もともとあまり宗教は好きではなく、私がやっているから仕方がないという感じでした。その母が私の顔を見るなり、「今、生長の家に行って来た。あんたと一緒に行って来た。光がいっぱい出て来た。」そして何回も何回も「光、光、光」と言うのです。その光の真ん中に剣があったそうです。もう私と父は驚きでいっぱいでした。私は思わず神様に合掌致しました。母にも「よかったね。そんなに話も出来て、普通はまだ意識もないはずなのに、生長の家の神様が来てくれたんだね。」と言うと、母は素直に「うん」と頷いていました。そして退院の時まで、「光を見た。きれいな何とも言いようのないものすごい光だった。この世のものではなかった。」と繰り返し言っていました。本当に神癒を頂いたのですね。ありがとうございました。皆様のお蔭です。
手術後2週間は動かせないと言われておりましたのに、何の後遺症もなく、6日目には個室に移され歩いてトイレにも行ける程になり、病院の先生も驚く程の早い回復で、1ヶ月半で退院致しました。
この母の体験を機に、親戚・知人に御教えの光が広がりつつあります。真心いっぱい、人類光明化運動・国際平和信仰運動のお役に立たせて頂きます。

73,直腸癌癒ゆ

                        O.Nさん 「宝蔵」第172号より  2008年5月6日更新

この度私の主人の直腸癌が癒されましたので、ご報告申し上げます。
平成11年10月12日朝、急におなかが痛くなりましたので、市民病院へ緊急入院、そして直ちに手術となりました。
開腹の結果は直腸癌でした。肝臓へも転移していて、再発の恐れもあるとのことでした。そして人工肛門を付けることになりました。それでも主人は生長の家に反対ではありませんが、活動はしていませんでしたので、「これで主人と二人で生長の家の信仰が出来る。これは私に与えられた勉強だ」と思って、あまり心配はしませんでした。そしてすぐに宇治別格本山の神癒祈願をお願い致しました。
10月15日から4人部屋へ移りました。それからは毎日家から30分かけて病院へ通いました。行くとすぐ聖経『甘露の法雨』を誦げ、普及誌を読む。心の中では「實相円満完全、ガンガン飛んで行け、鳥も飛んで行け、みんなみんな飛んで行った。ガンも鳥も飛んで行った」とプラス思考の言葉、明るい言葉ばかりを唱えていました。
そして、「癌であることを本人に告知した方がよいのではないか」と子供達と相談して、主治医の先生から主人に告知して頂きました。しかし、驚いた様子も全然なく「はい、解りました」とはっきり返事をしましたので一安心しました。毎日の会話の中では、心の持ち方を360度回転する、また、全ての人に物に事に感謝することなどを主人に話しました。
10月29日の夕食時から、いよいよ抗ガン剤の投与が始まりました。翌朝行って見ると「38度以上の熱が出た」と言って氷枕を使っていました。9時頃から寒気がして50分くらいブルブル震えていました。39度6分もありました。前夜と今朝の2回抗ガン剤を呑みましたが、吐き気も催してきましたので薬を止めてもらいました。翌月になり、肝臓の機能が低下して背中に痛みが走り出しましたので、11月13日再び宇治へ神癒祈願をお願いしました。そして11月20日、CTの結果はなんと肝臓の影が見えなくなっていました。翌日の21日に退院しました。
12月1日退院後初めての検査に病院へ行きました。それまで足が痒くて主人は眠れなかったのです。「抗ガン剤は止めて、かゆみ止めの薬だけ飲んで下さい」と医師は言われました。12月10日地元教区練成に参加し、浄心行を受けて帰りました。主人は「これからは生長の家をやる」と言ってくれました。嬉しかったです。
12月15日病院へ検査に行き、医師は「血液検査の結果は良かったので、抗ガン剤は飲まないでよろしい」と言われました。
嬉しい、嬉しい、神様ありがとうございます。皆様ありがとうございます。今、主人は元気に車に乗って動き回っています。生長の家のお蔭です。ありがとうございました。

72,高校入試合格とその予知

                         S.Yさん 「宝蔵」第55号より  2008年4月27日更新

私立高校を受験して一週間目に、合格の予知という不思議なことが起こりました。忘れもしません。孫の受験合格を毎日時間を決めて朝晩の神想観の際に念じておりますと、合格発表の掲示板に氏名が大きくはっきりと浮き出され、それを見た瞬間「合格した」と直感致しました。それ以来、心に文字が深く刻み込まれて離れません。発表まで1ヶ月間、不安の思いが時々よぎりましたが、神様のお示しを信じ切って祈りを続けて参りました。発表の日が参りまして、孫が帰って来まして「入っていた」と喜びを顔面に浮かべて、伝えてくれました。この様に神癒と神示が成就しましたので、神癒祈願のお礼状をお出し致します。

71,十年目で良縁

                         T.Tさん 「宝蔵」第73号より  2008年4月27日更新

昭和56年10月26日、仏壇に「息子27才すでに良縁ありがとうございます」と半紙に書き、御先祖様に毎日聖経『甘露の法雨』を読誦致しました。
平成3年3月3日、私の母の誕生日にお見合いをしました。今度は家に帰ってくるなり嬉しそうに「今度は大丈夫みたい」と。2~3日経って先方さんからお付き合いさせて下さいとお返事がありました。そして3月21日、わたくしの妹の誕生日に2回目のお付き合いをさせて頂きました。神様は私の息子にもお忘れなく、心優しい今の時代には珍しい、おとなしいお相手をお授け下さいました。長い長い間、待っていた甲斐があったと親戚一同、感謝いたしております。7月の15回目の祈願の日が終わります頃、8月11日にめでたく結納を納めさせて頂き、来年(平成4年)3月吉日に結婚式を挙げさせて頂くことになりました。祈願をして下さり、ありがとうございました。これを機に多くの方々に神癒祈願の素晴らしさをお伝え致します。

70,交通事故で重傷の娘が癒される

                        H.Sさん 「宝蔵」第190号より  2008年4月21日更新

4月12日の夜、長女(19才)がアルバイトの帰りに同乗していた友達の車が、右折したところを対向車に衝突されました。助手席の娘はシートベルトをしていなかったので頭を打ち、意識不明のまま病院に救急車で運ばれました。医師の診断では「くも膜下出血、脳挫傷、動眼神経麻痺などを併発しており、かなりの重体です」と言われました。早速宇治別格本山の神癒祈願を申し込みました。
娘は意識不明のままの状態が続いておりましたら、10日目にCT等の精密検査の結果、脳挫傷も感情を司る左前頭部と言語を司る左側頭部のダメージが予想以上に大きく、医師の話では、「お気の毒ですが、……。娘さんは30%は植物人間、40%は車いす、残りの30%は歩いて退院できる確率の容態です」といわれました。
入院して4週間目に意識が戻りました。それからの回復は速く、脳神経外科の先生も「奇跡的な回復力ですね」といわれましたが、娘はまだ一言も話すことは出来ませんでした。しかし、神癒祈願の満願日の5月12日より、娘が話をすることが出来るようになりました。それも、以前の健康だった頃のようにスラスラと話せるのです。それから半月くらいして、MRI(核磁気共鳴断層撮影)の検査を受けましたら、くも膜下出血と脳挫傷は完全に消えておりました。医師は「これは奇跡ですね」と言われました。ただ依然左目のまぶたは閉じたままで、動眼神経マヒの状態に、脳外科の医師は「これは後遺症として残ります。治りませんからまぶたを閉じていた方がまぶしくなくて良いでしょう」と宣告されました。眼科の医師からは「12本ある視神経でまぶたを開け、瞳孔を大きくしたり小さくしたりします。さらに眼球を上下左右に動かすと3つの作用を司りますが、数本の神経が切れているので、このままの状態でおくか、足の筋を移植してまぶたをつり上げる方法もありますので、どちらかに決めて下さい」と言われました。
  二回目の神癒祈願の満願日に退院しましたが、まだ娘のまぶたは閉じたままでした。しかし脳に多くの傷があった脳挫傷が傷一つなく癒されたのに、動眼神経マヒが治らないはずはないと、神想観、先祖供養の毎日でした。しばらく経てから娘の左目は少しずつ開いてきました。病院へ行きましたら、脳外科の医師は「世の中にはこんな事もあるんですかね。」眼科の医師は「お母さん!もう治りますよ、良かったですね。」と言って下さり、今迄は諦めて治療も薬もくれなかった先生方が急に薬をくれたり親切に治療して下さいました。
  こうして、娘が次々と癒やされたのも生長の家の御教えと神癒祈願の賜物と感謝申し上げます。そして娘と二人で宇治短期練成会にお礼参りを兼ねて参加させて頂きました。 

69,孫の不登校がなおった

                        F.Cさん 「宝蔵」第231号より  2008年4月21日更新

この度は、私と一緒に暮らしております不登校の孫のことについて神癒祈願をお願い致しておりました。お蔭様で再び登校できるようになりましたこと、感謝申し上げます。
孫は小6の女の子で、クラスでも5本の指に入る位何でも良くできる子でしたが、6月下旬より急に学校に行けなくなりました。そして不登校は8月いっぱいまで続きました。9月,10月は休まずに行きましたが、朝は通学班に並んで一緒に行こうとせず、他の生徒達に会わないように、嫁が遅い時間にくるまで送ることに致しました。孫は教室には入らず、保健室で過ごし、給食がすむと一人で帰ってくるという毎日を続けておりました。そのような状況でしたので、10月の上旬に神癒祈願を申し込ませて頂きました。それからは徐々に外に出てよく遊ぶようになり、友達との交流も多くなりました。 
10月15日~16日には、それまで一度も教室に入っていないのに、修学旅行に参加することが出来ました。又いつも乗り物に弱く泣いてばかりでしたが、行きも帰りも乗り物酔いせずに、二日間元気に過ごして帰って参りました。本当に不思議です。本当に神癒祈願をして頂いたお蔭です。ありがとうございます。旅行から帰ると、クラスの友達が代わり番こに保健室に来ては、教室には入れるように、気をほぐして下さっていたそうです。
そして、10月28日の12才の誕生日に、いつもと同じように学校に行きました。そして帰宅すると「おばあちゃん、ただいま。今日は教室に入って一日勉強したよ!」と、とても明るい声で言ってくれました。思い切り抱きしめて「よかった、ありがとう!」と言ってやりました。涙が出て仕方がなかったです。ありがとうと何度も書いてお礼を言いたい心境です。神様、本当にありがとうございました。感謝合掌 

68,娘婿が公認会計士試験に合格

                        U.Yさん 「宝蔵」第230号より  2008年4月15日更新

この度、娘(長女)の婿が、3年目の挑戦で奇跡的に見事公認会計士の資格試験に合格させて頂きました。これもひとえに神癒祈願をして頂いたお蔭だと深く感謝しています。
4年前、娘婿から公認会計士になりたいという話がありました。毎日会社が終わって専門学校に通っていました。私はその頃から神癒祈願を宇治別格本山にお願いし始めました。1、2年の失敗は試験内容から言って当然と思っていましたので、そう気に留めずにいましたが、3年目に入り、会社を辞めて本格的に試験体制になりました。又、その年の5月には長男が生まれ、娘も会社を休職しており、収入面で大変な局面を迎えた次第です。私たちが援助すると言っても限界があります。3年目は失敗が許されない状況になりました。
私は毎日5時半から神想観、聖経『甘露の法雨』、聖経『真理の吟唱』を唱え、神様に全托する祈りをしました。娘も出産のためこちらに居る時に、本人にも神癒祈願を出させました。一次試験ではあと10分という時、本人が見直したら、ひらめきで5問訂正する箇所を発見したそうです。(それはまさに神様のご守護のお蔭だと思っています) 二次試験はボーダーライン以下で、自己採点では合格しないということでした。
しかし私は発表まで諦めず「神様に全托する祈り」をし、また神癒祈願をお願いし続けました。総計で10回お願いしました。又御先祖様のお守りを頂くため、郷里の墓参へ行きました。そしてこの11月8日に発表がありました。娘、本人から泣きながらの合格の通知を聞きました。その時神様のお守りを頂き生かされている自分を実感しました。誠に生長の家の大神様と一体となった時、實相が顕れました。神癒祈願をして頂いたお蔭だと深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。再合掌

67,脳腫瘍が癒された

                        I.Mさん 「宝蔵」第193号より  2008年4月15日更新

この度、孫の神癒祈願を致しましたところ、お蔭様にて無事退院の運びとなりました。本当に奇跡に近いような回復を致しまして、家族一同心から生長の家の大神様にお礼と感謝の気持ちでいっぱいでございます。
平成13年3月5日、眼(斜視)の手術をしましたが、3日間の入院で退院しました。しかし一週間後急に容態が悪くなり、食欲が全くなく足が立たなくなりました。手術をした先生に診て頂きましたら、この斜視の原因は脳の腫瘍からきていることが分かったのです。MRIにはっきりと大きな腫瘍が写っていて、水頭症を起こして、脳圧が上がっており、すぐに手術しないと生命に関わると言われました。大学病院に救急車で運ばれました。
教授はじめ3人の先生がチームを組んで孫の病気の治療にあたることになりました。手術をする前に主任教授から病気、病状の説明を受けた時は、ショックが大きく、命はないのかと思うような状態でした。脳幹部にできた腫瘍なので、手術に耐えられるかどうか、例え手術が無事出来たとしても様々なリスクを背負うこと等々、希望の持てる話は一つもありませんでした。母親はもう半狂乱になり、私たち夫婦もなんと言葉をかけてよいのか分かりませんでした。
しかし私たちは生長の家を信仰していますので、孫の實相は完全円満なのだから絶対大丈夫と自分にも周囲にも言い聞かせながら、速達で神癒祈願を申し込み、手術に臨みました。私は手術室の前で聖経『甘露の法雨』を一所懸命読誦しました。手術は15時間かかって無事終わりました。麻酔から覚めた孫はすぐに両親の手を握ったそうです。手術は大成功、その後の回復は先生方も驚くほどで、一ヶ月後には退院することが出来たのです。術後出ると言われた様々な後遺症も殆どなく、体重も1kgも増えて帰宅することができたのです。
平成9年に主人と2人で入信し、朝の神想観、御先祖様への聖経読誦、愛行等させて頂いたお蔭で、この難病を無事に救って頂けたものと心から感謝を込めて、この手紙を書かせて頂いております。これからも孫の實相完全円満を祈りつつ、人類光明化運動に邁進していきたいと思います。本当にありがとうございました。

66,急性大動脈解離が快癒

                        N.Mさん 「宝蔵」第254号より  2008年4月7日更新

去る9月20日の夜9時頃、義弟(72歳)が急に具合が悪くなり、家人が近くの病院に連れて行きました。こちらでは手に負えないということでしたので、大きなメディカルセンター病院へ(先生も一緒に)車で行って頂きました。
緊急にもかかわらず、当直の先生がちょうど専門の先生でしたので、早速診て頂きましたところ「急性大動脈解離」という心臓の病気で緊急入院を致しました。
私は、宇治で数年前までは、毎月「写経」をさせて頂いておりましたので、早速、9月21日に神癒祈願を申し込ませて頂きました。
入院中は不安定な状態の時もありましたが、手術することもなく、11日目には退院致しました。病院の先生もあまりに早い快復に驚いておられました。
退院後は1ヶ月位で、車の運転も出来るようになり、今では元気に暮らしております。これもひとえにお祈りのお蔭と感謝申し上げます。

65,右手の骨折が全快した

                        K.Hさん 「宝蔵」第233号より  2008年4月7日更新

合掌 ありがとうございます。先日知人の神癒祈願をお願いし、右手首の骨折が全快致しました。深く御礼申し上げます。平成16年12月5日、階段を踏み外し右手首を骨折しました。それを聞いて私はすぐに宇治別格本山へ神癒祈願を申し込みました。本人も私も、神様、御先祖様に御礼を申し上げながら、聖経『甘露の法雨』を誦げました。お蔭様で大変順調に参りました。不思議と神癒祈願満願の日、1月11日にギブスがとれ、その後リハビリに通うこともなく、普通の生活に戻ることが出来ました。
この骨折で悔やむことなく、かえって感謝の気持ちが湧いてきたそうです。私と共にデイサービス(通所介護)へ行っていますが「半身不随等で手足の不自由な方達が、どんなに不自由な生活をしているかということが、本当によく分かった!」と言っていました。今までは通り一遍の慰めの言葉でしたが、自分自身の右手が不自由になってからは「とても辛い思いをしているだろうな」という思いで、相手の気持ちになって言葉をかけることが出来るようになったそうです。「私はこの骨折で本当に有難い体験をさせて頂いた。軽くて良かった。ありがとうございます」と大変喜んで感謝していました。ギブスが取れてからは「右手でお箸を使ってご飯が食べられることは素晴らしいね、とっても食事がおいしいよ!」と言って本当に喜んでいます。
私はそれを聞いて、この方は本当に心から感謝している素晴らしい方だと感激しました。たくさんの愛行をして皆様にとても喜ばれている方で、私もこの方のような明るい親切な気持ちで頑張っていきたいと念願しています。本当にありがとうございました。感謝合掌

64,第一志望の会社に採用決定

                        O.Kさん 「宝蔵」第125号より  2008年3月31日更新

この度、神癒人型のお蔭で第一志望の会社に就職することが出来ましたのでお礼申し上げます。私は4年生女子大学の学生ですが、昨年夏より就職活動に入りました。十数社を受けましたが、一次試験は合格するものの面接で不採用の連続で年を越しました。
本年度は学生にとって厳しい就職難でした。特に女子大生の就職内定率は50数%だそうです。困った時の神頼みというわけではありませんが、先月宇治の神癒祈願を申し込みました。その日に思いがけない方より就職の話を勧められました。その会社は私が一番入社したかった会社で、昨年の夏に不採用になった会社でした。後で聞くところによると、採用内定者の一人が一身上の都合で辞退され、その穴埋めとして募集しようとの会社の意向だったそうです。
私は運良く再び面接を受けることになったのです。宇治より神癒の人型が届いた日がちょうど会社の面接日でした。今回は何故か採用してくれるような気がしていました。人型を身につけて会社に行き、十分もしないうちに採用が決定しました。
やっぱりこれは生長の家大神様や御先祖様たちのお蔭で、こんなにすんなりと念願の会社に就職できたんだと思いました。今の私がこんなに幸せなのも、生長の家の御教えを母から伝えられ、この様にお祈りして頂いたからだと思います。これからも生長の家を正しく学び、私なりに努力してゆきます。

63,子宮癌が癒された

                        Y.Hさん 「宝蔵」第182号より  2008年3月31日更新

この度、わたくし8月より体の不調(子宮癌)を生じ、9月に入院し、9月14日に5時間半に及ぶ手術を致しました。
私の友人が生長の家の神癒祈願をしてくれまして、病室に神癒人型とお守りを持ってきてくれました。有難く人型とお守りを肌身にいつも付けていました。友人のお母様にも聖経『甘露の法雨』を手書きして頂いた腹帯を頂戴して、病状のある患部に当てたりしておりました。
わたくしは、まだよく生長の家を存じてはおりませんが、日々、「大いなる存在」や「宇宙からのエネルギー」は信じておりました。病気になってみて、病は心の迷いから生じたものとわたくしも感じており、心の迷いやストレスを捨て去って何事にも恐れず、心配せず、心平和に安らかに入院生活を送りましたところ、皆様の温かなお祈りが通じて、自らの自然治癒力が大いに働きました。わずか術後一ヶ月も経たず無事癌を克服し、退院することが出来ました。
病気になりますと、肉体が思うように動けなくつらい日々と思いますが、わたくしはこの貴重な経験を光りあるものと感じ、体の不自由な人の気持ちや、当たり前になりつつある生活が、どんなに素晴らしいものであるかと感じました。家族や友人の愛がわたくしの大きな励みになり、愛とは光ある素晴らしいものと心に深く刻み込まれました。
無事退院したことをご報告致し、友人より神癒の社の内で神癒を受けられたことに感謝致します。ありがとうございました。

62,宮筋腫が消えた

                        K.Kさん 「宝蔵」第128号より  2008年3月23日更新

この度、神癒祈願のお蔭で妹の子宮筋腫が癒されましたので御礼申し上げます。
妹は昨年5月頃より体調が悪いので病院へ行きましたら「子宮筋腫です」と診断されました。妹は結婚前に看護師をしておりましたし、他の2人の妹たちも子宮筋腫を患っておりましたので「遺伝かなぁー」と言っておりました。
3月6日、妹のために宇治の神癒祈願を申し込みました。妹も送られてきた神癒人型を患部にあてていたそうです。その頃より快方に向かっているとの話でしたが、4月の満願日に妹に電話をしましたら「もう何ともない、子宮筋腫は消えましたよ」と医者に言われたそうです。妹も「不思議だ、不思議だ」と言っております。これもひとえに神癒祈願の賜物と心より感謝申し上げます。

61,急性リンパ性白血病癒ゆ

                        O.Aさん 「宝蔵」第154号より  2008年3月23日更新

急性リンパ性白血病という病名を告げられた時には、ショックで頭の中が真っ白になりました。取る物もとりあえずというような入院でしたが、早々に母が神癒祈願を申し込んでくれ、母に勇気づけられ励まされました。自分でも「この入院は神様から頂いた魂の修養期間」と捉えることに致しました。
入院中は「神癒人型」を腹巻きに納め、起きてから就寝まで、暇さえあれば聖典を読み、神想観を実修し、朝に晩にご先祖の御霊様に聖経を読誦し、真理の講話や聖歌のテープを聴きました。すべての人に事に物に感謝し、毎日を努めて明るく感謝の気持ちでおくっておりましたところ、入院後1ヶ月半ほどで、検査の数値は全く正常値になっていたのです。
聖典を読めば読むほど、入信して15年以上経つのに私は一体今まで御本のどこを読んでいたのだろうかと思いました。それと共に、両親への感謝と生かされている事への歓びを忘れていたことに気づきました。私の心の深層には厭世的な気分があることを、以前から気づいてはいましたが、「人間は皆神様から祝福された生命であり、私の生命も又、神様の祝福そのものであり、同時に神の生命の個性的顕現なのだ。私という存在は神様にとってなくてはならない存在だったのだ」ということが解った時、それまでの自分が大きな勘違いをしていたことに気づき、神様や両親に対して何という申し訳ない生き方をしていたのかと思いました。その時から、この世に私を生み出してくれた両親に心の底から懺悔し、感謝することが出来るようになりました。そして又、生かされていることは、何て素晴らしいことなのか、この大きな喜びを一人だけのものにとどめていてはいけない、多くの人に伝えなければという使命感も生まれてきました。
歓びのうちに5月21日、無事退院することが出来ました。

60,ご主人の国家試験連続合格

                        H.Kさん 「宝蔵」第129号より  2008年3月18日更新

この度、主人が社長をしております塗装会社より、難関の「二級建築施工管理師」の国家試験に主人と専務の2名が受験致しました。早速、2名の合格祈願を宇治の神癒祈願に申し込みました。
昨年11月末に1週間の講習と試験がありまして、5月に見事2名とも合格致しました。昨年も祈願のお蔭で、同社より合格率が40%との難関の「銅橋塗装」の国家試験に一級が3名、二級が1名、と4名全員が合格致しました。
さらに合格者の中より優秀技術者として県より社長が第1位に、工場長が第3位に選ばれ、県知事より表彰状を戴きました。この様に次々と資格試験に合格させて戴きますのも神癒祈願の賜物と心より感謝申し上げます。

59,食道癌、肝臓癌、肺癌が癒された

                        S.Fさん 「宝蔵」第226号より  2008年3月18日更新

合掌 ありがとうございます。この度、神癒祈願のお蔭で、妹の主人(70才)の3つの癌が完治致しましたので、お礼の手紙を書かせて頂きました。
妹の主人は平成15年2月から体調が悪くなり、大学病院で検査した結果、食道癌との診断で余命6ヶ月と宣告され即入院、治療が始まりました。私はすぐに宇治へ神癒祈願を申し込みました。神癒人型が届くと、妹はすぐ本人に人型を手渡しました。すると妹は「いつもなら中々食べ物が食べられないのに、今日の朝食は音を立ててスムーズに食べ物が食道に通っていったよ!」と嬉しそうに話してくれました。私は「こんなに早く効果があるものか?これは絶対神癒祈願のお蔭だ!」とびっくりして感激致しました。
その日に検査があり、食道の状態が急に良くなってきたので、院長先生がびっくりして「何かしましたか?」と不思議そうに尋ねました。その後も食道癌はメキメキと回復していきました。3月の検査では癌が肺と肝臓に転移していることがわかりましたが、4月の検査では食道の癌はきれいに消えていて、また院長が驚かれました。さらに肺と肝臓の癌も良くなり、まさに奇跡としか言いようがありませんでした。
私は本当に有難くて泣いてしまいました。その後5月には退院することが出来ました。検査をする度に癌は一つ消え、二つ消えと順調に回復していきました。そして遂に平成16年1月の検査では、癌はすべて完全に消えてなくなってしまいました。院長先生は本当に不思議がって「こういう例は今までにみたことがない。肝臓癌と肺癌まで治るなんて!」と言っておられました。今は体重も5kg増え、車を運転して散歩にも出かけられるようになりました。妹も本当に喜んで感謝しております。本当にありがとうございました。再合掌

58,初心貫徹し、志望高校に合格

                        K.Yさん 「宝蔵」第235号より  2008年3月14日更新

合掌 ありがとうございます。この度、長男の受験に当たり宇治へ神癒祈願をお願いいたしましたところ、希望が成就いたしましたので、ご報告させて頂きます。
長男(中3)は、常々「自分は将来高校に行っても、好きな陸上を続けていきたい」と言っていました。志望校は、陸上競技の長距離走ではとても有名な高校で、実力的には少し難しい学校でしたが、絶対に後悔はしたくなかったので、学校の先生と私と長男との三者面談でもよく話し合いました。家庭でも何度も、夫と私と長男との三人で話し合いました。
何日か過ぎた頃、志望校より、陸上部の今までの実績等が入った学校案内が届けられました。通学するには本当に遠い高校なので、私は長男の体力のことがとても心配になりました。でも長男は「絶対にその高校に行きたい、頑張る」と言い張りますので、その高校を受験することに決めました。
試験当日、一日目は面接がありました。私は、面接が行われている時間に合わせて、家で聖経『甘露の法雨』を読誦しました。長男は、あまりの緊張に思った言葉が出てこなくて、とてもがっかりしている様子でした。一方、二日目は実技テストでした。実技はうまくいったらしく、ホッとした様子で、ニコニコしながら家に帰ってきました。そして結果は、合格でした!
平成16年10月より、毎月神癒祈願を申し込んでおりましたが、その頃から「ロードレース大会」や「駅伝大会」では、予想以上の良いタイム(記録)が出ていました。これもひとえに宇治の皆様に祈願して頂いているお蔭だと感謝しております。これからは、一人で地道に頑張る長男を、家族みんなでサポートしていこうと思っています。宇治の皆様本当にありがとうございました。再合掌

57,流早産を免れて安産

                        H.Yさん 「宝蔵」第67号より  2008年3月14日更新

昨年神癒祈願をお願い致しました者でございます。おかげをもちまして、娘も流早産を免れ、今年1月31日に無事男児を出産致しました。
妊娠6ヶ月より1ヶ月間の入院、その後家で安静を要する生活を送りました。いざ予定日が近づくと、今度は骨盤が狭いので帝王切開という話になり、3日後には手術しましょうということになりました。
1月29日に帰りましたところ、30日の夜になって軽い陣痛が始まり、31日の朝6時5分、無事2,850gの元気な男の子が普通分娩で産まれました。
この様に、手術の日迄決められていたのに、全くの安産で産まれましたのも、神癒祈願をしていただいたお蔭と感謝しております。何十年と生長の家を信仰しておられるお姑さんが毎日祈って下さったお蔭と只感謝の毎日です。本当にありがとうございました。私も娘もこれからの人生、神様に生かされている一日一日を大切に生きていこうと思っております。

56,脳梗塞癒ゆ

                        I.Mさん 「宝蔵」第198号より  2008年3月8日更新

この度、神癒祈願のお蔭で脳梗塞が癒やされましたのでお礼申し上げます。
昨年12月7日に共立病院の眼科治療中に、気分が悪くなり手足のしびれ等の症状が出ました。担当医の手配で直ちに近くの病院に入院しました。病院ではCTや各種の検査をしていました。入院4日目に再び強い発作があり、全身のしびれと口もきけない状態でした。そして脳梗塞と診断されました。
  早速、妹が宇治別格本山の神癒祈願を申し込んでくれました。
  病院での処置は手術はせずに薬物治療が行われました。回診のたびに医師は「あなたは運のいい人ですね。2回の発作とも病院内で、そして適切な処置を受けたので助かったんですよ」と言って下さいました。大事をとり、40日間入院し、1月17日に退院しました。
  今でも何の後遺症もなく元気で家事をすることが有難く思います。
  これもひとえに、生長の家の御教え、神様、御先祖のお蔭と心から感謝申し上げます。

55,アトピー性皮膚炎癒ゆ

                       I.Aさん 「宝蔵」第214号より  2008年3月8日更新

  私は、神癒祈願において、宇治別格本山の皆様に大変世話になりました。この度は、私の病が神癒祈願により治癒しましたことをお礼申し上げます。
  私は二年ほど前から、皮膚(特に手)にかゆみを伴う湿疹と、皮膚が切れて裂ける痛みに苦しんでおりました。皮膚科のお医者様に診てもらったところ、アトピー性皮膚炎と診断されました。薬を塗ると一時的に症状は軽くなるのですが、塗らないと又かゆみと痛みとに悩まされました。私は昨年夏に二人目の子供を妊娠しましたので、妊娠週数が進むにつれて「おなかの子供の体は大丈夫なのだろうか」「私自身出産してから後、子供を育てる体力、気力を保てるだろうか」と、とても不安な毎日でした。そのことを心配してくれて、昨年の夏から両親が宇治別格本山に神癒祈願を申し込んでくれました。
  昨年末、私は出産を控えて実家に里帰りし、毎日、神想観実修、聖経『甘露の法雨』読誦、すべてのものへの感謝行を行っていました。そして神癒祈願を申し込んでから約半年経った一月頃、どんどんアトピーの症状が薄らいで来ました。それから出産予定日の3月半ば近くになると、完治ともいえる程にまで快癒致しました。この間、お医者様の薬は全く使用しておりませんでした。そしてその後無事第二子を出産することが出来ました。
お蔭様で二人目の子供もスクスクと育ちました。よく笑う素晴らしい神の子 さんです。これも皆様のお護り、お導きのお蔭です。私自身まだまだ生長の家の御教えが信念にまで至っておりませんが、生涯『生命の實相』を読み続け、神想観、聖経読誦を行うつもりでおります。この度は神癒を頂きまして、本当にありがとうございました。

54,再就職が決まった

                       S.Fさん 「宝蔵」第168号より  2008年2月29日更新

合掌 ありがとうございます。私の三男の事で神癒祈願を出し、無事再就職することが出来ましたので、ご報告申し上げます。
思い返すと昨年8月、息子の会社が倒産致しました。年齢も46才になっており、一番就職しづらい年齢層でした。仕事もなかなか見つからず、仕事が見つかっても何日で辞めてしまうことが何度もありました。家族に相談しないで辞めてしまうこともあったようです。息子にしてみれば、建築工事士をしていたので、その仕事がどうしても一生の仕事としてやりたかったようです。家族からは反発もあり、特に、お嫁さんは家のローンがあるので、どんな仕事でもよいから最低一ヶ月間は働いて給料を入れてほしかったようです。お嫁さんも働いていましたので、失業保険と自分の給料とでやりくりしていましたが、約9ヶ月間まともに給料が入ってこないことで、我慢の限界に来ていたようです。自分の夫のことはもう当てに出来ないと思い、二人の子供生活費の協力を頼んだのです。私も毎日2回、聖経『甘露の法雨』を読誦して祈っていたのですが、息子夫婦のそんな状態を聞きますと、「神癒祈願を出さなければ」と思いました。
神癒祈願を宇治別格本山に出し「祈願人型」が家に届いたまさにその日に、連絡もしないのに午後から息子が来ました。仏壇に手を合わせてから、にこやかな顔をして話しました。「母さん、就職決まったよ。きのう偶然に知り合いの建築会社の人に会ったので仕事の話をしたら、自分は年齢がいっているけれど仕事の経験を見込んでくれて、来て下さいとトントン拍子で決まったよ」と言うのです。
私はびっくりするやら、嬉しいやらで、こんなに早く決まるとは思っていませんでした。嬉しくて嬉しくて「祈願人型」を神棚から降ろして息子に渡しました。息子も神様の神癒祈願の話を聞いて感激していました。そしてその人型を大事に一ヶ月間自分の身に付けて働いておりました。満願の日が来たので息子に「神癒人型」を持ってきてもらいましたが、手放したくない様子でした。それだけ生長の家のことを信じてくれる気持ちになったんだなぁと思い、胸がジーンとしました。
息子が失業して家庭の中がゴタゴタになった時期もありましたが、それは今までに溜まっていた膿が出て、きれいになる前兆だったんですね。今は家族の輪が一つになり、息子も生き生きと働いています。
給料も第一回目をもらい、お嫁さんも喜んでいます。お嫁さんの話ですと、息子は上司の人から頼りにされて、張り切って仕事をしているそうです。お嫁さんの表情も柔らかくなって明るく仕事をしているそうです。今までの辛さが嘘のようです。本当にまた神様の素晴らしさが心に深くしみ込んでいくようです。息子夫婦も神様を信じる心がまた深まったようです。本当に本当にありがとうございました。再合掌 

53,満願日に教員採用試験合格

                       H.Yさん 「宝蔵」第123号より  2008年2月29日更新

この度、神癒祈願のお蔭で大阪府の小学校教員採用試験に合格することができましたので御礼申し上げます。
近年、子供の人数が減少していることもあり、教員採用人数も減っております。
また、就職難と言うこともあって、教師になるのは非常に難しいと言われておりました。今回の採用試験の倍率もかなり高いものでしたが、神癒祈願のお蔭で見事合格することができました。
宇治の神癒祈願は昨年一月から毎月お願い致しておりました。その間、私自身も今までやったことのなかった神想観や聖経読誦、聖典『生命の實相』や普及誌を読んだりして、神様と波長が合うように精進して参りました。また面接の際にも「面接官の方々と私は皆神の子 であり、神において一体であるから大調和しているのである」と念じて望みました。
また、不思議なことに第一次試験・第二次試験の合格通知が共に、神癒祈願の満願日に届き「本当に神様ありがとうございます」という感謝の気持ちでいっぱいです。私が合格できましたのも、神様から教師になるという使命を与えて頂いたからだと思います。この神様から与えられた使命を立派に果たしていくことが出来ますように、力一杯頑張ってゆきたいと決意しております。

52,胃ガン癒ゆ

                       T.Kさん 「宝蔵」第158号より  2008年2月25日更新

拝啓 このたび神癒祈願のお陰で胃ガンが癒されましたのでお礼申し上げます。
私は去る7月30日、ある病院で胃の検査を受けました。その結果、ガンの症状があるので、入院して手術するようにとの診断でした。私は元来健康であったので、いささかショックを受けました。
そこで知り合いの医師に相談しましたところ、その医師はまた別の病院を紹介して下さいました。その病院では8月19日と9月8日の2回、胃カメラによる同じ様な検診を受けましたが、やはり入院することに決定し、9月21日に手術を覚悟で入院しました。
担当の医師は、知人の先輩の医師からの紹介ということもあって、極めて好意的で、責任を感じながら熱心に対応して頂いていることがよく判り、感謝の気持ちで一杯でした。
入院に先立ち、家内にすすめられて生長の家宇治別格本山の神癒祈願をお願いしました。入院して間もなく、9月17日受付の「神癒祈願のお知らせ」と「神癒人型」が送られて参りました。
それからは毎日病室で、聖経『甘露の法雨』の読誦につとめ、 また「入龍宮幽斎殿にての神想観に念ずる言葉」や「神癒成就に関する谷口雅春先生のお言葉」を読んで、神想観の実修を行いました。
入院後、胃カメラ、CT検査、胃の透視その他いろいろな検査が続けられましたが、なぜか不思議なことに、それらの検査の結果、医師からは何の説明もなされず、手術執行の話もありませんでした。おそらく担当の医師も不思議に思いながら、何回も何回も同じ様な検査を続けているのではないかと考えました。
私は不思議に思いながらも、ひたすら神癒成就を信じつつ祈り続けておりました。そうして毎日を過ごしておりましたが、入院して17日目の10月7日のことです。“それにしてもいつ手術をするのかなー?”とと考えていた矢先、担当の医師から突然「日数をかけて入念に慎重に検査を続けて参りましたが、どこも異状を認めません。大丈夫です。明後日の10月9日に退院して下さい。」とのありがたいお言葉を頂きました。
その言葉を、本当に“天の声”とも聞こえ、有難く嬉しくて、思わず万歳を叫びたい気持ちでした。これは絶対に神癒祈願のおかげに違いないと、家内とともに心から感謝し、喜びあった次第でした。
本日は神癒祈願満願の10月17日にあたり、改めて神様のご加護に感謝し、謹んで心からお礼申し上げます。ありがとうございます。合掌

51,自律神経失調症癒ゆ

                       K.Tさん 「宝蔵」第166号より  2008年2月25日更新

合掌 ありがとうございます。この度は自律神経失調症が癒されましたのでご報告申し上げます。
私は現在年齢的にも83才の高齢ですので、「このまま寝たきりになるのではないか」などど、内心不安に思いつつ毎日毎日を過ごしていました。神想観の実修(約1時間)と聖経『甘露の法雨』の読誦は毎日続けておりました。ところがどうしても起ききれず、そして、とうとうノイローゼ気味になり、精神科にも診察に行ったのですが、それでも尚、不安な気が致しておりました。主人と二人で練成会をと考えたのですが、色んな事情でそれも実現されずに悩んでいました。
それが7月3日の朝起きたらすぐ、何か体の中から何とも言い表せない様な力と言いますか、何かがすーっと体の外に出て行くような感じがしました。あまりにも不思議な事だったので、うまく言い表せませんけれども、本当にすーっと何かが体の中から外に出て行く様な感じがしたのです。 「あら、今のは何かしら?」と思ったのですが、そのまま体が軽く軽くなって……。「ありがとうございます」と繰り返して唱えておりましたが、実に「これが神癒だっー!」と思いました。
ノイローゼ気味だった体が急に軽くなって、何かからだから抜けて行った様な感じでございます。神癒祈願のお蔭でございます。7月1日が満願の日でしたが、7月3日。忽然として神癒が天降りました。先生方がずっとお祈りしていて下さったのだと、深くお礼申し上げます。主人も御礼申し上げ、喜んでおります。また、先日誌友の方とお会いしたら、「何か眼が生き生きしてきたよ」とおっしゃって頂いたことでした。本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
宇治別格本山には今迄も何回かお詣りしておりますが、もう一度御礼を兼ねてお詣りさせて頂きます。また、地元の先祖供養祭にも毎月参加致しておりますのでまたこの後も続けて参ります。本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。再拝