昨年宇治で練成を受けて、仕事に前向きになることが出来、
もっと無限力を発揮できるようになりたいと思い、日時計日記に
「ステップアップできました」と書き続けてきました。
3月まで県の職員でしたが、人事異動の一週間前に異例の打診を頂き、
4月から文部科学省の管轄施設の職員となりました。
県の退職届を出し、自分の仕事が認められてきたことが嬉しくて
ドキドキしながら4月1日を迎えました。
ところが新しく勤務することになった職場は、噂には聞いていましたが、
噂以上に厳しいところでした。
初めは神様が私にふさわしいから与えて下さった職場、私にピッタリの仕事、
だから喜んで働こうと意気込んでいましたが、職場の流れが分らない上、要領が悪く、
月、100時間の残業は当たり前で、周りは仕事が出来る人ばかり。
私はどんなに頑張っても他の人の半分はこなせるかといったところでした。
段々身体的にも疲れてきてしまって、
「自分はダメだ、どうしてこんな場違いな職場に来てしまったんだろう、この先どうしていこう」
と暗い思念ばかりに捉われていました。
たまたま宇治のホームページを見たら、繁栄練成会が三連休の週に変更になったとのこと、
〝これだ!″と思いました。
これで少しは自分を取り戻せるかも知れないと思いました。
職場には無理を言って、貴重な年休も一日もらいました。
後から思ったことですが、昨年10月に父の永代供養をしたので、
父やご先祖様が呼んで下さったのかも知れません。
練成に来て、良いお話だと思っても、どうしても日頃の寝不足でウトウトしてしまって、
なかなか真理が入ってきません。
「潜在意識で聞いているんだから」と思っても、なんだか逃げ口上の様に思えました。
それでも「神の子、神の子」という言葉が意識がぼんやりする中、たえず聴こえました。
「私は神の子なんだ。それをもっと自覚するために来たんだ」と思いました。
4月から環境の変化にばかり捉われて、そこでの問題を強く強く握りしめて、
自分で余計にしんどくしてきていたんだと気が付きました。
「問題を心から放て!」と先生が云われます。
私は不完全じゃない、実相世界では既に全て整っているから、
それを表現することが今必要なのだと分りました。
大拝殿での浄心行の終わりに、電気が点いても、
まぶしくてなかなか直ぐには目を開けられませんでした。
ゆっくり開けたら「日一日を生きる」と書かれた谷口雅春先生の書が、
私の目の中、心の中に飛び込んできました。
「そうだ!今を生きよう!喜んで生きよう!集中して、全力でやろう!」
しばらく忘れかけていた思いが私の中を駆け巡りました。
私が明るい心になれば、幸福は喜んで私の元にやってくる。
だから肉体の現象の自分が疲れているということにはもう捉われずに、
明るく明るく、もっと笑って過ごそうと思いました。
「明日からまた仕事・・・」と、ちょっと憂鬱になりかけていましたが、もう大丈夫です。
私は私を生きているつもりだったけど、私は神の子で、神様の尊い命を生きている。
だから内なる神様に全托すればよい。心配しなくても全て良い方に運ばれています。
今の仕事も職場も神様が私にふさわしいからと与えて下さったもの、
そして自分で掴み取ったもの。職場にも同僚にももっと感謝をしようと思います。
先祖供養の霊牌には直属の上司のご先祖様の名前を書くことが出来ました。
今、私は国の職員です。私は日本人としてこの国を支える職員として働けることを誇りに思います。
尊い仕事が出来ることに心より感謝をします。
そして全ての人、物、事に仏の命を見出す生き方をしていきます。
パワーを沢山貰った練成になりました。
明日から益々頑張ります。
多くの人のお役にも立てる自分に胸を張って生きていきます。
ありがとうございました。 |