今年三月に練成に参加させて頂きました。
かねてからの孫にあたる流産児の永代供養に来たかったのですが、
息子夫婦と共に来たいという願いがなかなか叶えられず、シビレを切らし、
私一人が参りまして、念願の供養が出来たのです。
自覚のない水子さん三柱も、何故か供養しなければという気持ちになり、
新たに加え、これは普通の霊宮聖使命とさせていただいたのです。
その時、予定していなかった親族の新仏様も一緒にこの機会にしたい。
後回しは失礼に当たると思い、全部で五柱の永代供養をさせて頂き、
何かとても心が安らいだのを覚えています。
そして、あまり日もおかずに皇居のご奉仕に参加が決まっていまして、
何かとても浄まった心で参加できたことが嬉しくてなりませんでした。
また、長田先生に個人指導して頂き、心の隅にあったモヤモヤが一掃されて、
今まで自分を裁いていた心も晴れたようで帰ってからも嬉しい毎日でした。
三正行も自分ではどうしても出来なかったのですが、実行していました。
そうこうする内に長男夫婦から嬉しい知らせを受けたのです。
結婚九年目に入るのに孫がなかなか授からなかったのですが、
今度は絶対大丈夫と思えるまで知らせたくなかったとのことでした。
思えば三月の練成中、末一稲荷様に参拝したおり、
私の生家の事業の感謝の祈りをしていて、
無意識に〝孫が授かりまして有り難うございます″と付け加えており、
その事にハッとして、祈りから覚めたのです。
「既に受けたりと祈りなさい」とは常々耳にしていましたが、
何か夢から覚めたような心地で、とても不思議に思いました。
本日八月三日、祈り合いの神想観のご講話の中にありました
「神はすでに知り給う」それはひいては私の中の神も何か感じ取っていたことになり、
今回は流産児さんの祥月命日祭に参拝できたとの意義を深く観ずることができました。 |