今回の伝道練成会は大祭奉仕の後で、二十三、二十四日に「生命の教育学会」があり、
ちょうどその間が開いたということで受けさせて頂いています。
伝道練成会は二千年十月まで研修生として受講していました。
それ以来、約十四年ぶりに受講させて頂いています。
更に、下山してから新潟越南教区で地方講師になり、
更に現在は講師会副会長を拝命しているということで
、
講師として伝道について勉強しようというつもりで受けさせて頂いています。
まず、楠本先生の第一講話の中で
「具体的目前の人間(父母、子供、隣人など)を愛することは教えを伝えるためには大切である」
の言葉を聞かされた時、教区の行事の推進の際には今まで誌友会等の生長の家の行事に
参加したことのある人をあげて、家庭訪問等で推進しているわけですが、宇治の伝道実践では、
その地域周辺の伝道をするわけで、生長の家に関心のない人が現れる可能性があるので、
その体験が出来ればいいなと思いました。
二日目の午前の伝道実践で、住宅街を五軒行かせてもらって、
ほとんどが留守だったのですが、唯一家の人と話が出来た所で次の体験をしました。
そこの家はまず玄関の戸が開いていたので、まず一言言ってから始めようということで、
家の人を探していたら、畑にお父さんがおられて、
「今、忙しいからだめだ」と、突き放されました。
そして家の玄関で見えないように祝福の祈りをやっていたら、
聖経を読んでいる時に再びそのお父さんが私達の前に現れました。
そして私が「生長の家から来ました。今、この地域一軒一軒を祝福に回らせて頂いています。
生長の家の月刊誌を無料で配らせていただいております。どうぞ、お読み下さい。」
と言ったら、お父さんが受け取って下さいました。
ということで、私達が相手を拝む気持ちになれば相手も変わってくれたという体験をしました。
午後の伝道では、午前とは違って、JR宇治駅が正面に見える所の店を五軒回らせて頂きました。
教区の推進では、店の前で拝んで中に入って推進することがないので、
これはいい体験になるなと思いました。
その中で、二件目のテナントがいくつか建っているビルのオーナーにインターホンごしで
話をしたのですが、私が生長の家のことで色々と話しているのを真剣に聞いてくれて、
結果的には断られたのですが、今度誰かが訪問したら、今度は普及誌をとってくれそうな気がしました。
ということで、結果には結ばれなくても、相手を拝むことが大切だなと実感しました。
今回の体験を通して教区に於いて生長の家に関心のない人や、
最近生長の家の行事に参加していない人に推進するためには、
その人にアタックして、その人をひたすら拝み、
ひたすら祈ることが大切だなということを実感しました。
そして、教区に戻ったら今回の体験を基に応用してみたいと思っています。 |