1050, 不治の病と言われる統合失調症が消えた!  

9月一般練成会 発表日:H26.9.20

  私は半年前に鬱病で休職し、二十一歳から患っている統合失調症で入院しました。
そして間もなくどういう訳か過食症も患うようになりました。

  病院で思ったのは 「どうしてこのような精神病を患ったのだろう?」 ということでした。
そこでは様々な病気を患った方がおり、十年以上入院している方などもざらにいました。

 医学会では統合失調症は不治の病とされており、一生薬を飲まなければならないということが
言われています。先の見えない入院生活でした。私の症状の一つは幻聴です。
見えない何かと会話をするのです。もう一つの症状が自動筆記です。

 ある夜、病室にいる時、手がペンを取りました。そしてこう書いたのです。
「私は谷口雅春だ。生長の家に入信して欲しい」と。

 私の母は熱心な生長の家の信者で、バスの中、電車の中、どこに行くにも
聖経『甘露の法雨』を読んでいます。
生長の家の瞑想も家でよくやっている姿を見かけていました。

 学生の時分、私は新興宗教と聞いただけでインチキと決め付けていました。
「母は騙されている」 そう思った私は母が読んでいた生長の家の聖典
『生命の実相』四十巻を一気に読みました。

 気持ちは母を救いたいと思っていましたが、読み進めていくうちに自分の心が救われていく思いがし、
結果ミイラ取りがミイラになってしまいました。

 四十巻読んで、ケチを付けようと思っていたのに〝生長の家の御教えは素晴らしい″
そう思い始めました。

 私の統合失調症が悪化して入院したのは二十六歳の時でした。退院後は薬漬けで、
毎日フラフラの状態でした。

 一年間地元の誌友会に熱心に参加して真理の勉強をしましたが、職に就いた私は
生長の家から遠のいていました。
何より心のどこかで新興宗教をやっているということに後ろめたい気持ちがあったのでした。

 その一年後、青年会を脱退しました。
もういい、私はよくやった、後は自分一人で立とうという思いで後悔はありませんでした。

ただそこには決意があるだけでした。それなのに今また再び生長の家に入信して欲しいとは
どういうことでしょうか?私の潜在意識が私の手でペンを持って書いたのかも知れません。

 真意の程は分りませんが、無意識にも自分の手でそう書いた時、
そうだ、もう一度生長の家の門を叩こうと思い、今回宇治の一般練成会に
参加させて頂いたという次第です。

 奇跡はすぐに起こりました。
練成会一日目も二日目も過食して講話の時間は薬の副作用もあり寝ているという始末です。
これでは意味がないからやっぱり帰ろうと思い、受付の方にそう言いました。
すると、「潜在意識でちゃんと講話を聞いているから部屋で寝ているだけでも意味がある」
と言われたのです。

そう言われて半信半疑でしたが、三日目の夜寝ていると男の人が夢に出てきて言いました。  

  「現象はない、物質も無い、肉体も無い、心も無い、実相がある」 

私はその時、「あー、真理とはその様なものなのか」 としみじみ思って目が覚めました。
それは館内放送で聴こえてきた長田先生の声でした。そしてその時ふと
「あ、今日、私、お菓子食べていない」 と思いました。

  この半年間、病院で、また退院後も自宅で一日中食べ物の事ばかりを考え、
過食していた私はもうそこにはいませんでした。

 練成の十日間、長いようで短かった時間でした。
私が振り返って一番良かったなと思うのは笑いの時間でした。
人間の身体にとって、笑いがとても良い作用をすることは頭で知っていましたが、
この半年間笑いのない生活をしていた事にまたも気付かされました。
他の参加者の方と輪になって、また手をつないで「ワーハッハッハ!」と
声を出して笑う時間の楽しいこと。
周りの方々の笑顔を見て、また楽しく嬉しくなっていくのを心から感じました。

  早朝眠い目をこすりながらした神想観、神社での聖経一斉読誦、先祖供養、浄心行、
一つ一つの行事にとても深い意義が込められていたことに今気付きます。

 〝新興宗教をやっているうさんくさい自分″から〝真理に目覚め、深い信仰生活に生きる自分″
に変わろうと思います。

  私をここまで導いて下さった楠本長老はじめ諸先生方には深い感謝の意を、
一緒に声を掛け合いながら笑い合った練成参加者の方々にはこれからもエールを、
そして、いつどんな時も私を応援して下さった両親には親孝行をして、
これからの明るい歩みを着実に踏み締めていきたいと思います。


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