以前から受けたいと願っていた宇治の練成でしたが、
最近夫が他界した淋しさと、娘の鬱病のことが心配で、
これからは頼りにしていた夫がいない人生をどのような思いで過ごそうか、
今まで人の体験談を聞いたり、聖典を読んだりして、
頭では分っていたつもりだったのに、すっかりあやふやになってしまい、
ただただガンバル!という毎日でしたが、これからは人に頼らずやっていかなくちゃと、
先ず宇治に来る決意をしました。
宇治に参りましたら素晴らしく、浦島太郎の気分です。
毎日、神想観の意義と練習、まるで 『生命の実相』 を読んでいるような
あらゆる方向からの丁寧な説明が六日間も続き、実修もするので、
知らず知らず神想観が好きになっていまして、この変化には驚きです。
私は自己限定を破りたいという願いで参りましたので、特に苦手だった笑いの練習にも、
司会の方の巣晴らしい笑顔での先導に感動し、笑い通すことが出来、殻を破ることが出来ました。
また、Kさんの体験談で、娘の幼少からの淋しさを知りました。
愛情はあっても表現をしなければ伝わらない。
そして、自分自身もまた他の人も家族も私が作った枠に当てはめようと、
一人で苦労していたことに気付かせて頂きました。
今までは神の子だという言葉だけで中身は
どうだったのだろうと気が付き、「私は神の子」が胸にしっかり自覚できたと思います。
これからは全て神様にお任せし、悦びいっぱい笑顔いっぱいで神想観し、
感謝の日々を生き通しの夫と共に過ごします。
宇治は龍宮城のようでした。 また是非来ます。 |