私が宇治に来たのは 「自分じゃないような自分」 になってしまったのが切っ掛けでした。
両親が元々生長の家を信仰し、そのご縁を頂いて、私も生長の家に触れておりました。
子供時代にはいじめなど、辛く苦しい経験もありましたが、
「人間は神の子だから大丈夫。クラスメートの子に感謝しなさい」 と母親にも教えられ、
比較的順風満帆に生活しておりました。
しかし、元々短気な母に怒鳴られ、理不尽と思える仕打ちをも受けていました。
辛い時には己の苦しみであるかのように私の重荷を持ち上げてくれる母と
子供が癇癪をおこすかのように私に怒鳴り散らす母の顔に、
今までは言葉で反論していた私も、この年齢になると、母に暴言を吐き、物を投げ、
壁を壊すようになっていました。
まるで自分ではないような感覚ながらも、腹が立つと暴力と暴言に訴え、
「どうして私をもっと愛してくれなかったんだ!お前が私を苦しめなければ、
私はこうなることもなかったのに・・・」と母を責めていました。
自分だけが一番不幸だと思っていた私が、何を契機として生長の家の
普及誌を読んだのかは確かではありません。
しかし、長年宇治別格本山におられた楠本加美野先生のご文章や、
多くの体験談を読み、
「宇治に行ってみよう。 行ったら何かが変わるような気がする」 と思い、
宇治に来ました。
これも今思えば、聖経読誦を続けていた母、聖典を読み勉強を続けていた父、
そして先祖と神様の導きのような気がします。
宇治での一般練成会では 「コトバの創造力」 「両親に感謝」 「人間神の子」 など、
何となく頭に入っていた教えを先生方に丁寧にご教授頂きました。
しかし、私は自分が変わりたい、変わらなくてはならないと焦る気持ちが強くありました。
先生方には 「焦らなくてもいいんですよ」 と教えていただき、
阿部先生の講話の中で、
「祈る中で必ず導きがあるから、本当の祈りは実相を観て神様に全托するだけですよ」
と言って頂いたことで、神想観でも 「私は神の子で、素晴らしいんだ!」
と自らを讃嘆することが出来ました。
私にとってこの練成会に於ける主眼は 「浄心行」 でした。
多くの体験談を読む中、浄心行で両親への本当の感謝が出来たという方が沢山いらして、
自分も本当の感謝が出来るのかと、とても不安になっていました。
浄心行用紙に書いて、先生に言われた通り、
神様に全てお任せして行うのだという気持ちで参加しました。
浄心行用紙を燃やし、『甘露の法雨』 の読誦の後、父母に感謝する時、
私の頭には直ぐに父の笑顔が浮かびませんでした。
私の父は忙しい人ではありませんでしたが、私に厳しく当たることもない良い父でしたので、
私は何故だろうと、とても不思議な気持ちになりました。
感謝誦行に移り、「お父さん、お母さん、ありがとうございます」と唱えていた時、
ふと私の口から出たのは 「お父さん、ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい」 という言葉でした。
私と母の不調和はずっと私が母に感謝できていないからなのだと思ってきました。
しかし、私が感謝したかったのは父なんだと思った時、涙がずっと止まらず、
両親は私に無限の愛を授けて下さっていたのだと気付くことができました。
その晩、日頃夢を見ない私が、父とのやりとりを夢に見ました。
それは父に買ってきて欲しいリストを渡し、父がその通り頼み事を聞いてくれたのに、
私が怒っている夢でした。
怒っていた理由は私の書いたリストが間違っていたのに、その責任を父に押し付けたという
自分勝手さからでした。
私は父にとても申し訳ないことをし続け、父の為、することは当たり前だとして
感謝出来ていなかったことを反省することが出来ました。
十日間の練成に於いて、自己を劣等視し、愛されていなかったという思いは
神の子として実相円満完全な自分を知ることが出来、いつの間にか消えていました。
また両親に生んで頂いて良かったと、心の奥底から感じることが出来、
宇治に来て良かったと強く思います。
宇治に来て「生長の家の御教え」とは何たるか、
どうすれば実践していけるのかを学ぶことが出来ました。
聖典読誦の実践行、神想観を行う観行、聖経読誦の誦行など、
生長の家を難しく思っている人、様々な方がおられると思います。
私が三正行に取り組み、愛行を実践していくことで
生長の家とまだ御教えに触れていない人のパイプ役となれるよう、
伝道の心を持ちづ付けたいと思います。 |