今回の伝道練成会参加は四月以来となります。
前回は、ひたすら早く終わって欲しかったという思いしかありませんでした。
タスキをかけて歩く恥ずかしさ、普及誌を受け取ってもらいたいという執着心。
心がガチガチに凝り固まったまま終了しました。
今回は研修生として初めて参加しました。
前回の事もあり、正直不安の方が大きかったです。
しかし、伝道実践が始まると、想像もしていなかった心の変化に驚きました。
聖経を誦げていると、なんだか嬉しくなってくるのでした。
「最高の教えなんだ、大好きな教えなんだ、
その教えが詰まっている聖経をここで誦げさせて頂ける幸せ!
花も木も草も葉っぱも喜んでいる!足元のコンクリートまで愛おしい。
顔に当たる雨粒の気持ち良さ、目の前に広がる風景の美しいこと!
そして目には見えない何かが喜んでくれ、祝福してくれているという
温かい気持ちに包まれました。
一軒のお宅の前で聖経を誦げている時に、朝の講話の
「電車の中でも同車した人々を祝福せよ」
「蒔いた種は発芽して、その人が救われるまで決して枯れることはない」
という言葉を思い出し、また喜びに満たされた気持ちに包まれました。
普及誌をどうしても受け取って欲しいとか、中にいる人が怖かったらどうしようとか、
心の中の縛りが無くなってきているのが分りました。
ただ、祝福させて頂けることが有難いです。そういう気持ちになると、
訪問先の方の対応がとても温かく感じられました。
受け取りを断られる方も、「聖経は誦げて行っていいよ」と言って下さったり、
インターホン越しでも 「ありがとうね」 「ご苦労様」 という言葉をかけて頂いたり、
四月とは比べものにならない気持ちの変化です。
ここに至るまでに、十八日に行って頂いた長田先生との面談が大きく影響していると思います。
面接で私は「以前、青年会活動を頑張っていたことがありましたが、全て投げ出してきました。
お世話していた人の事も全部捨ててきました。それ以来、自分の愛が偽物のような気がして、
ここに来てからも、誰かのために行動すると、偽物の愛ではないか、誰かに認められたいだけの
行いではないか、と色々考えてしまって、とても辛いです」 と話しました。
すると先生は 「青年会の時だって愛を込めて活動していたでしょ。
今そういう心境だから青年会時代の事を責めちゃうけど、
その時その時で頑張っていたんですよ、焦らなくていいですよ、
僕だって、ここに来るまで三十年かかりました。
一つ一つを大事にね」 とおっしゃいました。
心で掴んでいた思いを話す(放す)ことが出来た私はすぐトイレに行ってスリッパを並べました。
何故かさっきまでと違ってのびのびした心でスリッパを揃えられました。
そして、その時に宇宙一美しくスリッパを並べる人になろうと決意し、実践しています。
聖経を誦げるのも 「頑張っているアピールをする自分では?」
との思いで、集中出来なかったけど、
心を込めて言葉を味わって誦げられるようになりました。
そうしていると、どんどん生長の家が大好きになってきました。
いい人ぶっている自分なようで、善を行うのが怖かったけど、
愛深い自分だったと気付かせて頂いたお陰で心が楽になりました。
その感動を伝道に繋げられるのが嬉しかったのだと思います。
伝道が好きになりました。
もっと自分の内なる声に、素直に耳を傾けてみます。
「はい、ありがとうございます、よろこんで」 を口癖にするまで唱えます。
研修生活がこんなに楽しくなるとは思っていませんでした。
常に私のことをほめてくれる仲間に心から感謝します。
私も仲間の美点を見て表現していきたいです。
今、与えられている事を一つ一つ丁寧に行っていきたい。
いつも心を空しくして、神様の御心に従える自分でいたいです。
そしてこの生活をさせて下さる家族に常に感謝の気持ちを送り続けたいです。
お父さん、お母さん、生んでくれて本当に有り難う。 |