研修行事の一環として参加しました。
私は、8ヶ月間研修生生活を送りました。この正月明けに卒業となりますが
4月から春夏秋冬様々な季節を経て、色々な体験、様々な出会いと別れも経験しました。
人生に絶望し、夢も希望も失っていたときに、『生命の實相』により救われました。
そして、宇治に導かれ、心の底から救われたと感じ、同じように救済に携わりたいという
強い想いで研修生を志願しました。
しかし、現実は空回りの感があり、次々と奉職の道へ進む仲間たちを見ながら、
研修生として行じていても、全く自分が必要とされていないという無力感をずっと感じていました。
講師からは、「何かの為ではなく、唯一日一日研修を精一杯生きるように」と助言されるのですが、
人生の行方を考えると思い悩んでいました。
研修期間も半年過ぎ、何時下山するかを検討するようになったある時期、
「現象と実相をはっきりさせる」 「在るものとナイものをはっきりさせる」
ということを教えられました。
頭では解かっているつもりでしたが、このテーマを生きることがどれだけ
容易でないかを感じさせられました。
そして、「在るものはある、無いものはない」と神想観の中で見極めることを続けていたところ、
少しずつ霧が晴れる様に物事が、ハッキリとしだし、
〝ああ、こういうことか・・・〟とピンと来て、〝ここでもどこでもいいんだ!もう大丈夫!〟
と思えたとき、本部への奉職の面接の話を頂きました。何とも不思議な気分です。
追い求めている間は空回りし、放ったときに全く予想外のものがやってきた感があり、
結果はどうなるか分からない状態ですが、どちらになっても私にとっていちばんよい展開に
なることが信じられて嬉しいです。
今振り返ってみると、悩んだからこそより一層祈ることを覚え、祈ってきたものを
「ハイ、有難うございます」と受けることもようやく少しは出来るようになれたかなあと思っています。
何があっても、魂の向上以外にないことが分かりました。
講師の方々、本山の皆様、研修生の仲間たち本当に有難うございました。
晴れやかな気持ちで、100点満点の卒業が出来そうです。 |