ちょうど一ヶ月前の伝道練成会を終えて研修生となった私は、
研修生になったものの、毎日どのように過ごしていいのか分らないまま、
新年祭準備献労と新年祭に臨むことになってしまい、
とにかく「無我献身」をいかなる時も貫こうと心に決めて日々行動しましたが、
正直なところ我は山のように出てくる、研修生の輪の中にも入っていけない、
足首を新年早々転んで捻挫して未だに痛んでまともに正座が出来ない。
一般練成の時に気付かせてもらった亡き生母との関係性の修復と対話も何一つ進まない、
そのうちに十二月の一般練成会で感じた悦びを気が付けば全く忘れてしまっていた・・・と、
この一ヶ月を振り返ってみれば本当に惨憺たる有様でした。
個人指導や面接の場で長田講師からは 「少しずつでも確実に変わっていっているから
焦らないように、自分自身の生命が本当に尊い命だったと気付けるようになるから」
との言場を頂いていましたが、自分はせっかくの研修生としての一ヶ月を何やっていたのだろうと、
やはり気持ちは焦るばかりでした。
そんな中で臨んだ今回の伝道練成会、今回で三度目になりますが、
正直伝道は人見知りと恥ずかしがりとあがり性な性格が災いし、
とても苦手なので一月十九日の時点からため息をよくつくようになってしまいました。
そんな心の状態では、心の法則が働いて、とんでもない伝道先に
当たるのではないかとの思いを払拭出来ずまた溜息をつく・・・
という負のスパイラルに陥っていました。
御教えが間違いなく素晴らしく、伝道が更に多くの人々に御教えによって
救われる切っ掛けとなる種蒔きとなる行いだと分っているのですが、
世間の「宗教」に対する負のイメージから、冷たく対応されることを私は恐れていました。
伝道に対するマイナスイメージを抱えたまま向かった一日目の伝道、
お茶のお店二軒を訪問し、普及誌を無事お渡し出来、
祝福礼拝を行っている最中のことでした。
聖経を誦げていると、私の上着の左ポケットに突然違和感を感じたので見ると、
一人のおばあさんがポケットに何かを押し込んで去って行かれようとしているところでした。
ポケットから出してみると小さな紙に包まれたお布施が入っていました。
あわてて後を追ってお話を聞いてみると、ちょうど祝福礼拝を行っていた
蕎麦屋さんのはす向かいのお宅の方で、御歳九十歳という高齢のおばあさんでした。
生長の家が好きで、本山にも参拝に行きたいが、歳のせいで足が思うように動かないので
坂を上るのが大変だからあきらめていたところに「生長の家」のタスキを見かけたので、
あわてて持ってきたと話して下さいました。
このお話を聞いた時に、いつか他の方から聞いた 「宇治に来たくても来れない人が沢山いる、
ましてや研修生になると本当にやろうと思っても出来るものではない」という話を思い出し、
その実例を目の当たりにして 「ああ、自分は今本当に導かれてこの本山に居らせて
もらえているんだな」 とひしひしと感じました。
おばあさんに丁寧にお礼を申し上げ、普及誌をお渡しして、その場を離れた後、
私の中に苦手意識も、不安も、焦りも、現象としての自分はそのまま、
とにかく訪問した一軒一軒の幸せを心底願って拝ませて頂こうという気持ちが
しっかりと生まれていました。
気持ちを定めた中、始まった伝道二日目、午後の公園清掃が急遽訪問伝道へと変更になり、
公園清掃を想定して、どう取り組むか考えていたので多少戸惑いはあったものの
「神様が今の自分にふさわしい環境をご用意して下さったのだ、感謝して行かせて頂こう!」
と切り替え、昨日定めた気持ちを胸に伝道に向かいました。
二日目、通してお留守のお宅やお断りされたお宅もあったものの、
にこやかに丁重に対応して頂けたので嬉しい驚きでした。
京阪電車さんの保養所を訪問した際には、間違えて勝手口から
お伺いしてしまったにも関わらず、お話を聞いて下さったり、
道で出会った信徒さんに話し掛けて頂き、励ましのお言葉を頂いたりと、
心を定めた途端に良い事の連続でした。
それに加えて、訪問した一軒一軒できちんと祝福の祈りをやり遂げれたことがとても嬉しく、
ありがたい気持ちで満たされたことに、神様に心から感謝致しました。
今回の伝道でお会いしたおばあさんをはじめ、道で励まして下さった信徒の方、
自分の病を顧みずに相談に乗って下さったOさん、いつも差し入れを下さるMさん、
最後の伝道練成まで一緒に受けて、いつも気持ちを和ませて下さったKさんをはじめとする
十二月の一般練成会を共に受けた方々、改めて自分は先生方をはじめとして
沢山の方に支えて頂いて、この研修生活を、この伝道練成をさせてもらえているんだなと
強く実感しました。
今後、研修プログラムとして参加させてもらえる伝道練成会の中で、
今回のようにより真心を込めて祝福礼拝することはもちろんのこと、
伝道についても、例えば予め全ての普及誌に目を通して、お勧めし易い頁を把握しておく、
などの工夫を重ねて、より訪問した方々にお話を聞いてもらえるような自分なりの伝道の仕方を
少しずつでも積み重ねて、少しでも多くの方々に御教えを知ってもらえるようにしていきます。
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