1131万教帰一の素晴らしさを偕(とも)に実感

 

 研修行事の一環として参加しました。
一日目、地図のお宅の名前と表札が合っているか、確認しようと
玄関に近付いた時に中から丁度奥様が出て来られ、
「生長の家の・・・」と名乗ると同時に「結構です」と一言。

 断られたにも関わらず、肉の体でなく、魂と魂が出会ったという不思議な感覚になり、
何故か悦びの感情が湧きました。

 二日目、訪問先では年配の男性が対応下さいました。
またも「生長の家の・・・」と名乗ると同時に 「あ、ダメダメ、生長の家はあかんねん」 とのこと。

 「そうですかー」 と答えると、「うちは、別の信仰をしているから」 とのこと。
「そうでしたが、すみません。知りませんでした。でも、信仰って、素晴らしいですよね」
と話すと、表情が柔らかくなり、「そうやろ?もう50年以上やで」 と笑顔で答えて下さり、
「わ~すごいです~!お話できて良かったです」 と言って、去ろうとすると、
何度もお辞儀して下さいました。

 50年の信仰って、素晴らしい。
私もあんなふうに喜んで50年も信仰したいと思ったと同時に、
一生のうち、この一瞬しかないかも知れない出会い、会話に心から感謝出来、
また、今日会うべき人に会えたという神縁というものを強く感じました。

 今日訪れた地区の皆様が益々神様の祝福に満ち溢れ、
悦び一杯の人生が展開致しますようにと祈っています。
そして、この祝福が全宇宙にまで響き渡っていることと信じています。



 一ヶ月を振り返ると、ドラマのような一ヶ月でした。
ちょうど一ヶ月前の体験感想文を読み返すと、神の子と素直に言えず
苦しんでいたことが分ります。
しかし、山口先生に言われた通り、バッターボックスに立ち続けてみました。

 「神想観が神想観を教えてくれる」 という言葉を胸に、
途中で途切れそうになりながらも 「続ける事を続ける」 という先月の目標に邁進しました。

 祈るたび、「焦ってもいい、悲しんでも苦しんでも心配してもいい、このままで素晴らしいのだから」
「解決する力は自分の中にある」「出来ると思ってやってごらん」「悦べ悦べ、大丈夫大丈夫」
と優しい囁きが心の中に響き、何度も床に伏せて涙しました。

 そうしているうち、自分の事しか祈っていなかったことに気付き、
大拝殿で自分の願い、悩み、全てを神様に話し、「全てお預けします。
ここからは人のために祈らせて頂き、行動させて頂きます」と宣言すると、
次の日、研修生再入山前に「一生宗教頑張れば」との最後の言葉を残され
お別れした彼から急にメールが届き、
「実は仕事を辞めた。あの時は嫌な事を沢山言ってごめん、
やっぱり一人じゃ何も出来なかった。
付き合ってた間、一緒にいてもらって、どんなに支えられてたか、
それだけ伝えたかった。もう連絡しないけど、お互い幸せになれるよう祈ってます」
との内容を見て、泣き崩れてしまいました。

 布団に入っても涙が止まらず、次の日は目が開きませんでした。
「謝りたいのは私の方!」「感謝を伝えたいのは私の方」と辛くて辛くて、
直ぐに秋田に戻ろうと本気で考えました。

 しかし、これは本当の愛ではなく「同情」だと気付き、彼の幸せをとことん祈ることにしました。
それとともに、今後試験を控えている方、大切な研修生の仲間、何より家族の幸福、世界平和、
思い浮かぶ限りの事を祈り始めました。
そして、「もう本当に右に行くも左に行くも神様に任せよう。頑張らない。
川の流れのように自然に自然に」と決意しました。
すると、人のために祈り出した時、急に運命が動き出し、 次のステージへのお話を頂きました。

 直ぐに両親の事が浮かび、心から悦べませんでした。
いつも早く戻っておいでと言われていたからです。

 母にはわりと早く電話で伝えられました。
「あなたの信じる道、しっかり突き進みなさい」との愛深い言葉に全身が感謝の念に包まれました。
あとは父です。怖い父の顔ばかり浮かび、気が気ではありませんでした。

 でも私には祈りがあるんだと、恐怖しながらも祈り続けました。
どんどん日が過ぎ、少し焦りましたが、一番いい時期を神様に与えられると信じて祈りました。
そして、「今だ」と思えた時に電話をしました。とても明るい優しい声でした。
祈ったとおりのお父さんでした。
そして、「自分の決めた事だから最後まで頑張れ。トップを目指せ」と冗談交じりに応援してくれました。
気付くと緊張で全身汗びっしょりでした。
「取り越し苦労した時間、無駄だったわーと」おかしくなりました。

 両親は生長の家の事はまったく知りません。
よくわからない宗教の道に生きる決意をした娘に対して、なんて偉大な言葉を下さるんだと、
今まで見下し、とことん嫌った両親を心から尊敬した瞬間でした。
私が悦んで生きたら、離れていたって両親はきっと悦んでくれる。
そう信じて遠慮なく幸せになろうと思います。

 私はいつも家族のため、彼のため、○○のため、と言っては
色んな事から逃げてきたなと思います。
そして、心のどこかでいつも、誰かが何とかしてくれると思ってきました。

 宇治に来て、自分が行動するしかないんだということが分りました。
だから自分で出来る事を探し、工夫し、素直に取り組んでみました。

 まわりからは頑張り過ぎと言われますが、今がちょうど良い感じです。
ベストを尽くせているというか、だからいつもは新しい環境に移る時はにわかに焦って、
あれをしなきゃ、これをしなきゃと慌しく空回りしますが、今回はそれが全くなく、
どこに行こうと 「今までどおり淡々とこのままのペースで」という気持ちだったことに
正直驚いています。そしてとても嬉しいです。

 いろんな事が一気に起きて涙した時、自分は多くの人の犠牲の上に立って
幸せを感じているんじゃないかと、辛くて辛くてたまらなくなったけど、そうではなかった、


 神様、ご先祖様、家族、彼、仲間、みんなみんなの深い愛に包まれた自分だったと
思えるようになってきています。


 正直、また過食になって恐怖に襲われる日もまだあります。
でも 「消えていくんだ、ありがたいんだ」と思えるようになりました。

 益々良くなるんだろうなと希望に満ち満ちています。
次の一ヶ月の目標は、三正行の励行。
はい、ありがとうございますの励行、家族に感謝の気持ちを直接伝える日を多くするということ、
そして、新しい生活のリズムを早く覚え、更に受身にならず、
工夫して自分の生活リズムをつくるということ。

 素晴らしい命を下さった両親に心から感謝します。
生長の家への恩返しの人生、大切に楽しく過ごさせて頂きます。






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