1140今は亡き天使のような義母からの贈り物

 

 一月末に大好きだった義理の母が亡くなりました。
訳あって実家の家族と呼べるものがない私にとって一年一緒に住んだ義理の母は親友で、
陽だまりで、数年前一緒に宇治の練成に来た時も本当の親子みたいで素敵だと
何人もの人に言われました。

 亡くなった日も一時間前一緒に散歩して笑ってお茶をして、五分前まで明るく話して、
直ぐ側で電話をかけていた私の前に母が可愛がっていた猫が来て、
普段ならまずしないような、うずくまって死んだような格好をしたので、
「母さん見てー、変な格好してる」と言って携帯で撮影し、寝ている母に携帯をかざして
「見て見て~」と言って何度も揺すらないと気付かないくらい安らかに死んでいました。

 生前母と「死んだらローソクの灯りをゆらゆらさせて、〝ここにおる〟とか教えてくれる
とか言うやんか。母さん死んだら私にそれ、見せてな」と二人で笑って話してて、
本当にそうだったんじゃないかと猫を見て思いました。

 お葬式も終わり、今住んでいる私の実家に主人と二人もしくは一人でポツンといると、
死んだ家族や母を思い出し、悲しくて孤独でたまらなくて、それプラスまだ抱えている
トラウマや片手が無いことや、何もかも悲しくておかしくなりそうだと夜中一人呆然としていました。

 特にこの半年あれだけ熱心だった信仰から離れて、〝これからはこの肉体の私で強く生きていく〟
と頑張り出していて、主人にも「私は道場にも宇治にもどこももう行きません。
清く正しく生きるのしんどい。やめた」と心から宣言していたので、なくしたものに対する悲しみも
絶望的な気分でした。

 そしたら突然母の日時計日記にはさんであった言葉
「花は花は花は咲く私は何を残しただろう」の歌が頭の中に勝手に流れ出して、
その瞬間死んだ父や祖母やみんなが笑って合掌してこっちを見ている光景が
パーッと目の前に広がって、急に聖典を片っ端から開いて、
「あ、私宇治に行かなきゃ」と思い、夜中に荷物をまとめて朝一で主人に駅まで送ってもらい、
「どうしたの?」「私が聞きたい」と言いながらバスで二時間はかかるけど
背中を押されるように到着しました。

 付いて直ぐ「私、生長の家から離れたのに何で来たんやろ。二日ほどあたりさわりなく受けて」
と思って会場に行くと、十年ほど前、信仰姿勢とか、とても尊敬して、半身さんじゃないかしらと
憧れていた人が練成を受けていて、このタイミングでまさか会うはずがないと思う遠方の人だっただけに
驚き、しかもすごく親身に話を聞いてくれて、「私はひねくれて俗に染まって生きたいのに、
この人といると清まってしまう」と思いながらも話を聞いてもらっていました。

講師の方に相談するつもりはなく、7日目にいざ帰ろうとした時、長田先生が声をかけて下さいました。

 10代の時、奉仕に来て、なんか怒られて怖いと思ったきり始めて声をかけてもらって緊張したけど、
これまで誰にも話したことなく、心の闇として抱えていたものを聞いてもらって楽になりました。
そして私は13歳で心のトラウマや傷がうずき出してから15年以上マニアックなくらい行をこなしてきたけど、神想観が偏っていたことに気付きました。

 「生命の実相、みんな神の子」を学んでいるつもりで、自分に対してはあれをしたら
神様は愛して導いて下さる。これをしたら見捨てられる。バチが当たるみたいな、
神様を小さく小さく見積もっていて、よっぽど不動明王の方が優しいわと思っていました。

 ところが神様がどれほど大きくて、ひたすら愛深いかを長田先生に教えて頂き、
そういえば地方講師をしている主人もいつも
「神様はどこにでもおられる。親みたいな大きな存在なんだよ」と言っていたことを思い出して、
主人に電話すると「長田先生のすっとぼけたようなキャラがいいよね、宇治はいいよ」と言っていました。
そして長田先生の聖経の、「汝」や「人間」のところを自分の名前に置き換え読むように言われ、
やってみると、なんと私は今まで「汝」や「人間」を人事(ひとごと)みたいに読んでいたと驚き、
「汝の生命の実相を自覚せよ」
をM(筆者の名前)の生命の実相を自覚せよと読んでみると
「おー、私かぁ」と急にリアルに感じました。

 ここのところ特に無気力で、今回の練成の行事にも行ったり、行かなかったり、
ちゃんと受けたら良いよなぁと思いながら、今日お風呂に浸かっていてふと思ったことがありました。

 私は私なりに数多く練成を受け、必死に必死に5分でも無駄にするまいと必死だった時代があり、
環境も心もきりきり舞いでも行を徹底してきたけど、「あんだけやっても神想観、違ってたもんなぁ」
とか思った瞬間、そういえばあの頃は本当に必死で命がけで仕事も自分にも厳しく、
後輩が出来てからも張り詰めて理想を押し付けて可愛がっていた後輩に
「Mさんを好きで尊敬しているけど、Mさんみたいになりたくない」と言われるくらい
厳しくて真面目で融通のきかない私もいて、第一自分がしんどかったけど、
今はなんだか前より自由で、天使みたいな姑を見送り、「僕も現れは不完全だけど、
君の本性は何をしてもしなくても素晴らしく尊いから問題ないんだ。
やりたいことやり」という主人と「力になりたい」と電話を度々くれる幼少にはなれた生みの母など、
沢山の愛をくれる人がいっぱいいて、のんびり「まあいいか」と時間を気にせず、
お風呂に入っている自分がいて、全部話したら多分「よく生きてきたね」と言われるような
波乱万丈な環境と“頑張ってますモード”の私がここまで変わって、
「前より自由になったなぁ、もしかしたら私って幸せなんやなぁ」と思いました。

 今は時々トラウマに捉われて不安で壊れてしまいそうな自分がたまにひょっこり出てきて苦しいけど、
なんか、これまでとちょっと観方とやり方を変えたら大丈夫かも。

 土壇場でいつも導かれるからそうやって愛を深めて、また受け取れるようになっていったらというか、
このままでどうせ愛されているからやりたい事やって楽しい信仰をしようと思いました。

 かあさん、肉体なくなって私をこうやって宇治へ連れて来てくれてありがとうございました。
聖経をしばらく読み込みます。












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