1152学校生活で受け続けたいじめによる辛い日々から
     信じて愛する生活へと転換

 

 小学一年生の頃、担任は私にだけきつい態度をとっていました。
と言いますのも私は言われた事を従順にやる子供ではなく
何事にも理由を求め、自分なりに納得してから取り組む子供だったからです。

発端は何故勉強をするのかを尋ねたことだと思いますが、良く覚えていません。

 不当に怒られることもありました。
とにかくその経験が元で私は自分に自信が持てなくなり、不眠症にもなりました。
それでも頑張れたのは友達がいたからです。

 小学四年生の時に、ある友人からクラスの一人の子を仲間はずれにしようと言われました。
納得がいかない私は断りました。

 それからクラスの子との間に溝が出来はじめました。
それが決定的となったのは、小学五年生の頃の事です。
ちょっとした孤立がイジメになりました。

 親友だと思っていた子からもいじめられました。
その時のショックは言葉では言い表せないもので、
円形脱毛症にもなりましたし、人間不信にもなりました。

 中学・高校・大学では仲良くなれる人も出来ましたが、
上手くいかない事、上辺だけのものが多かったです。

 精神状態が良い時と悪い時を繰り返していたのですが、
ここ数年は悪い時で停滞していて、最近は輪をかけて状態が悪化していました。

 宇治へは上の兄が来たことがありました。
その兄から時々私も行くように勧められていたのですが、
諸々の理由から断っていました。

 昔よりは良くなったとは言え、人への恐怖心がまだあること、
十日という長い期間への尻込みなどです。

 しかし、最近の私の様子を見て両親からも勧められました。
練成会への参加に家族からの勧めがあったことも事実ですが、
殆どは自分の意志です。

 上の兄が人から良いと言われることはとりあえず実行してみて
うまくいっていることを知っていたのが大きな理由です。
私も自分ばかりで裁くのではなく、とにかくやってみようと思いました。
あと少しはすがるような思いです。

 こうして初めて参加した練成会ですが、印象に残るものに順位をつけるのならば、
やはり一番は浄心行でしょうか。

 私の経験を語ってきましたが、私は小学生の頃の担任や同級生には恨みをもっていません。
そこにあるのは悲しみです。

 それをさらっと書いて後は何を書こうかと考えた時、出てきたのは自分への恨みです。
浄心行で心が晴れやかとなったとはいきませんでしたが、浄心行を機に決意をしました。

 「自分を愛せない人間は誰も愛せない」 これは大学で言われた言葉です。
正直私はショックでした。何故なら私は自分が大嫌いだったからです。
             
 自分が嫌いな私の為(な)すことは全て偽りなのかとショックでした。
しかし、自分の行動に真か偽りかを求めるのはやめにすることにしました。
自分が為したと思う事を為そうと思いました。

 私は昔、作り笑いをよくしていました。
しかし今では笑顔を褒めて頂けるまでになりました。
偽りもいつか真になることを私は身を持って知っています。
だとしたらあとは自分の信じることを貫くだけです。

それからもう一つ決意を致しました。それは信じることです。

 私は家族が与えてくれる愛を有り難く思う前に「どうしてこんな私に」と思っていました。
これからはひたすら家族の愛を信じていきたいと思います。

 私は宇治に来て良かったです。何の変化もないと思っていましたが、
こうして書いてみて自分なりに自分の出来る事を見つけたことに気が付きました。
感謝の心と信じる心をもって、本当である家庭生活を送っていきたいと思います。










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