1176これまでの生き方を見直すため正しい祈り方を実践することに

 

参加動機は、今までの自分の生き方を変えてみよう、見つめ直そうという思いで来ました。

 今までの生き方は、相手の悪い所、欠点を見て直そう、正そうとして相手を裁き、
排斥しようとしてきたやり方は間違っていたんじゃないかと思っていました。

 憎い相手の悪をずっと掴んで許せないと思っていましたし、
もちろん親にも感謝出来ない生活でした。

 神の子と知って神想観をし、相手の幸福を祈りましたが、
それでも相手を神の子として拝めない、言葉で親に「感謝、感謝」と言っているけど
感謝出来ていない、これだけ両親に訴えているけど、環境が変わらないとジレンマでした。

 今回の練成会ではまず
「祈り方が間違っている」 「相手を現象の生命として祈っている」 
「憎い相手も生命としては僕と一体なんだ、相手も同じ実相として、神としては一つなんだ」
と言われ、何回か自浄作用に捉われて苦しかったのですが、
取り組んでいたら捉われなくなりました。

 今回はよく捉われたのですが、神想観と祈り合いの神想観は僕を救ってくれて、
やるたびにドンドン良くなっていくことに気付かされましたし、
「出てくる事は良くなっている事だから「良くなった、これで消えます」
と感謝することだと言われました。

 また、「自分を拝む、自分を素晴らしい神の子、愛深き神の子だと認めること、
愛があったら人を憎まないし、自分を愛さなかったら相手も拝めない」
と言われ、
祈りを全部吾が内なる神から来るのだから神の無限の智慧、愛、生命と付け加えて、
「自分は完全円満で健康で幸福で祝福すべき素晴らしい神の子です」と祝福讃嘆しましたし、
肯定的な祈りをしました。


 言葉の力では 「まず言葉に出すこと」 と言われ、感謝出来なくても
「ありがとうございます」と唱える。

 感謝出来ない両親にも 「完全円満な神の子お父さん、お母さん、ありがとうございます」と唱える。
そして自分に自信をつけていくためにもまず親に感謝をと思って「ありがとうございます」と口に出す。

 神の子を生きる事としては、調和の世界。相手を裁かない、排斥しない、
相手も神の子、自分も神の子、実相を思って「あいつはダメ、ここはダメ」と言わず、
生かし合い、助け合いの精神、明るい光明面を見るということ。

 愛のある生活をするということ、それは「自分がやっているのではなく神の子がやっている」
と思って神の子だから出来るんだと思ってやりたいと思います。

 その他にも色んな事を学ばせて頂きました。
相手の気持ちになる。「相手にどんな印象を与えるだろうか。
こんな時、神の子だからどうするべきか」
と考えて常に神の子を意識したいと思います。

 とにかくやるという事、祈って信じて待つ。全て良くなると信じて続ける。
今までの生き方はダメだったから人間神の子を信じて、信じて、生長の家の御教えを信じて、
自分は出来ると信じてやってみようと思いました。


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