私が今回宇治の練成会に参加させて頂いたのは、今年の一月二十四日に脳出血で倒れ、
十日以上意識不明となり、集中治療室で過ごし、その後入院することになったことが切っ掛けでした。
自分の人生の中から空白の十日間が過ぎていました。
幸いにして一命は取り止め、後遺症もなかったのですが、一ヶ月、二ヶ月と入院生活を送る内に
体力は回復しながらも意識の回復と共に病気に対しての恐怖心や不安感が増していきました。
医者や看護士の言葉に左右される毎日で、悪くなる事を植え付けるような診察に
極度の緊張を覚えるようになりました。
いつしか不眠となり、食欲もなく、リハビリの先生からは、
「今日はものすごく怖い顔をしてますね」と言われるようになっていました。
血圧測定の度に高くなり、動悸や速脈、そして、抑えても抑えても出て来る恐怖心と
只々戦う毎日でした。
私は生長の家に十一年前に触れていました。
青年会活動を経て白鳩会で活動させて頂いていた私は夫婦共
病気になるまで喜び一杯で御教えの伝道に励んでいました。
昨年は約一年で七十名近くの方々が聖使命会に入会して下さり、
誌友会なども七~十名の方々と真理の研讃を楽しくさせて頂いていた時でしたので、
「生長の家をしているのに何故こんな事になったのだろうか?」と正直、思ってしまいました。
病院で 「信仰も無駄ではないか」 と思っていた時、活動仲間の先輩が突然病院に来られ、
ものすごく真剣な顔でこう言われました。
「あなた何やってるの?まだ入院するの?一ヶ月くらいで退院して来るのかと思ったら、
もう四ヶ月だよ、退院させてもらえないんじゃなくて、あなたがただ退院を怖がっている
だけなんじゃないの?」。
先輩は「早くこんな所、出な!あなたはこんな所にいつまでも居るんじゃないよ!
私の知っている本当のあなたは、そんな人じゃないよ!背水の陣を敷くんだよ!
退院してどうなるかなんて、そんなの分らないよ!死んだらどうしようって思ってるの?
死んだっていいじゃない、そしたらそれがあなたのそこまでの使命だったんだよ。
これまでどんな時も祈って、事ある毎に解決してきたんじゃない」「橋を全て焼き払え!」
そんな力強いコトバでした。
只々止めどなく涙が流れました。そして丁度ゴールデンウィークに入っていた中、
まずは意を決して入院中に長崎総本山の練成会を受けに行き、
そして今回の宇治一般練成会を受けることにしたのです。
もうこんな機会は本当にないと思いました。
笑いの大会では、これまでの練成会の集大成だ!笑いながら倒れてもいいから
笑い抜こうと思っていました。
汗だくになって笑っている自分がいました。
今思うと自分が笑えないから自分の為に笑っていたはずなのに、気が付くと十五分間
笑うことの出来た自分はなんと一等賞を頂いてました。
嬉しくて嬉しくて子供に返ったように大喜びしました。
講師の方々のお話しに耳を傾ける度に、私に必要な問題解決の答えがここにあるんだと思いました。
入院中に何故か過去の自分が次々出て来ていた事にふと気付きました。
こんな自分だった、あんな自分だったといつまでも反省と懺悔のスパイラルから
一向に抜ける事が出来なかったこと、個人指導を頂き、気付かせて頂きました。
「今こそ実相に超入する時が来ましたね」とお言葉を頂いた時、
じゃあどうすればいいんだろうと思っていました。
罪があるという前提で物事を考え、徐々に真理を学び悟っていく、
そんな考え方をもうやめようと心から思いました。
迷いを焼きつくすために罪の意識は煙となって消える過程であり、
罪は罪であって本当の自分ではないのだと気付かせて頂きました。
実相に於いてナイ罪を自分と勝手に結び付けていたんだ、
その事そのものが間違った思いであり、その事そのものが本来ない迷いなんだと思いました。
そんな間違った意識で自分をチクチク刺して傷つけるのを止めようと思いました。
そして、自分の過去に対してあれで良かった。これで良かった、全部良かったと
過去も未来も全て良かった良かった、これで良いのだと、今の一点を常に喜び、
笑顔で全部良いのだと光に変える生き方をしていこうと思いました。
これから先の事も、過去も無いから、ただ喜んで思い煩うことはないんだなと気付かせて頂きました。
この事に気付いた後の献労での畳拭きは特別な感覚でした。
長い畳の列を前に進みながら 「ありがとうございます、ありがとうございます」 と唱えながら
拭いていくと、拭きあげた後の畳を振り向いて見た時に、何だかこれまで自分が歩いてきた
罪や迷いの足跡が一瞬にしてキラキラと金色に輝いて光りに変わったように感じました。
そう思いながら今、与えられている恵みに対して一つ一つ感謝して拭いていると、
そのまま自然に許され、喜んでいいんだなぁという思いが湧いて来ました。
何か自然に喜びそのものの自分がありました。
自分では大きな変化はまだ実感していないのですが、その日を境に
一緒に練成を受けている仲間から「何か変わったわ」「笑顔がとっても癒されるよ」
「本当に嬉しそうね」と讃嘆して頂きました。本当に嬉しい瞬間でした。
また、これまで一緒にずっと心の支えになっていて下さっている夫や両親、
そしてご先祖様の深い愛に気付くことが出来ました。
私にとって今回の脳出血は自分の敵ではなく、魂向上の為、
そして信仰深化の為の神様からのプレゼントと分りました。
只々生かされている今、今の生命に感謝し、神様の御心を自分の使命として
これからの余生は与生で参りたいと思います。ありがとうございます。
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