1241 絶望的に思えた部長の評価こそ「真実」を私に
            教えてくれていたのだと気付く

一般練成会

 「迷った時は生長の家」 両親が生長の家だった私は、物心ついた時には既に
そのように教えられていました。

 私が小学校の頃、白鳩会に入っていた母は家に人を沢山集めていて、
私が学校から 「ただいま」 と帰るとその方達に 「あら、Hちゃん、お帰りなさい。神の子さんね」
と言われて育ちました。
  「自分は神の子なんだ。パパ、ママありがとうございます」。
それがずっと自分の中では当たり前、普通の事で自分の周りの同級生の家でも
そう教えられているに違いないと思って疑いませんでした。

  しかし、私が中学二年生の時、父が突然亡くなりました。
死因は寝起きの脳出血。前日の夜まで元気で、その晩は家族三人でピザを食べました。
寝る前に何故かいきなり 「パパはまだ死ねないんだ。Hが幸せになって、
Hの花嫁姿を見るまでは絶対死ねないんだ。ふふふ」 と笑って布団に入ったのが最期で、
翌朝眠ったままの状態で亡くなりました。

  母が救急車を呼んだ時、私は真っ先に自分の通学カバンの中から聖経を取り出して
父の枕元で読みました。しかし、父はそのまま亡くなりました。

  「生長の家は幸せな未来しかないはずなのに何故?」
その時初めて私は明日の朝は今日と同じ当たり前の朝が来ないかも知れない事を知りました。

  更に残酷だったのは私の人生は180度昨日と今日で変わってしまったのに、
周りで昨日と同じように鳥が鳴き、人は行き交い、変わらない朝が訪れていたことです。

  いつの頃からか私は生長の家から遠ざかっていました。
そんな私に再び生長の家に足を向かわせる切っ掛けを与えて下さったのは他でもない、
私の挫折の原因でもあり、目の前に立ちはだかる大きな壁でもある今の職場でした。

  自分の同期は4人で、お恥ずかしい話になりますが、私は平社員、
他の三人はドンドン出世してゆきます。理由は分りません。

  事務職の募集で入った会社はいざ入社してみると実は専門職で、
更にその専門知識を知った営業がその仕事の大半を占めます。
しかしながら努力をするのが全く苦にならない性格と負けず嫌いな強気な部分が相まって、
専門知識を身に付ける導入試験は主席で卒業との話を聞き、
一年前には126人しかいなかった自分のチームのお客さんを一年後には620名まで増やし、
その度に自己満足に浸っていました。

  幸いにもお客様には恵まれ、今まで来て下さった方達とは良好な関係が築けております。
しかしながら、努力をしても結果を残しても私の部署の一番上に君臨する女性部長の理解だけが
どうしても得られず、ついに先日、自分の直属の上司にその理由を問うてみたのです。

  「自分がこの会社の為に足りないコトがあるなら努力します。
知識が足りないというなら足りるまで勉強しますから自分が上に上がれない理由を教えて欲しい」と。 

  すると、「仕事が必要以上に出来る必要もなければ頭が良い必要もない。
大切なのはゴマをすること、Sは仕事をしている姿が楽しそうに見えるからダメなんだと思う。
仕事しに来ているのにいつもニヤニヤしているし、歩き方も髪の毛がはずんで見えるし、
社員同士でよくランチに行ったりする姿が目立つみたい」という答えが返ってきました。

 挫折というよりむしろ絶望でした。
小さい時から 「辛い時こそ笑顔。笑顔は人を幸せにするし、自分も楽しくなるものだからね」
と教わっていたはずなのに、自分の笑顔はニヤニヤと言われ、人を不快にしていた?と。

  入社してから今までずっと人とただ同じように平等な評価をしてもらえる事だけを願って
ここまで来たのに、もはや人間を否定された自分に評価される日など来ないことに気付きました。

  頭の中でぐるぐる同じ事を考え、余裕がなくなり、たった二人の家族なのに母と言い争う日々が続き、
仕事で疲れて帰るのに家に帰ってもまたストレスで考え過ぎてパニックになり、気絶し、
また考えて泣きわめき、人生初のサボりを経験し、ひたすら考え考え、考えるコトにも疲れた結果、
失意の果てに行き着いたのが、「こりゃ人間の頭でいくら考えていてもしょうがない。迷った時は生長の家」という結論でした。

  「神に触れれば必ず答えは見つかる」そう信じてここに来て、
同じものを目指す皆様とお話しする内、また良いご講話を聞かせて頂く内に気付きました。

  それは長田講師に個人指導をお願いした後のお風呂で一人
ボケーっと長田講師から頂いたお言葉と今回の練成会のご講話の中の
お話を考えていた時でした。

  「人間は皆神の子。相手は自分の心を映す鏡。神は自分の内にある、
人から信じてもらう前に自分が自分を信じること・・・」 あっ!と気付きました。

  非常に簡単なことでした。
こんなに苦しい思いをするのなら自分を認め評価してくれる会社を求めて
転職する道も何度も考えました。でもそんな私を留めさせた理由は、講話の中で
山口講師が話されたとおり、「一つのステップを上がるにはそれを卒業しなければならない」
という考え方が私の中にはあって、ただ私の中にあったのはそんなきれいな捉え方ではなくて、
嫌な事を嫌だと思っている内はどこまで逃げても、地球の裏側まで逃げても同じ環境、境遇は
どこまでも追いかけてくるだろうという恐怖心でした。

  ただ、今の会社に私を留める要因の中で最も大半を占めていたのは簡単に言えば「形」でした。
もちろん仕事の内容が自分に合っている、楽しいと思えることも大きいですが、それと同じ位の比率で、
給料が良い、医療系の会社と言えば聞こえが良い、東京の日本橋に事務所があると言っても
やっぱり聞こえは良い。ボーナスは三回もらえる。有給も使えて休みも比較的自由と、
自分にとって会社を上手く利用してやろうという心と、何より見た目、つまり現象の姿に
いかに自分が捉われ、こだわり、その果てにそれらの数々を自分のプライドとまで言葉を
使い間違えている事実にぶつかった事でした。

  約二年という時間をかけて、「評価をしない」という形で、「現象は仮の姿であり、
真実、実相は違う場所に、自分の中にある」
と女部長が私の心の現われとなって
見せてくれていたにも関わらず、気付かなかった自分に気付きました。


  この先の道に関しては後々考えていきますが、昨年8月、全てのやる気を失いかけている
友人を連れて数年ぶりに本当に久しぶりにこの宇治の地を訪れて、最初は半信半疑、
宗教と聞いてやはり多少の抵抗心を覚えてきた彼女が宇治から帰って後、
見違えるほど生き生きとして、今年なんと私より先に一人でここに来るようにまでなっている姿を見て、
「この教えで救われる人が沢山いる。知らないがために苦しんでいる人が沢山いる」と再確認しました。
そして、父と母が教えてくれたことに間違いなかったと感じ、嬉しくなりました。 

 決意発表として一つ、小さい事ですが、練成が終わって家に着いたら、
照れくさいけど大きな声で母にありがとうと言う。
二つ、近い将来、青年会に入る。
三つ、もっともっと生長の家の教えを勉強して全く生長の家に触れたことのない人を
神の道へ導き、苦しんでいる人を一人でも多く救う。

  人と違う事をしようとする人に対し人は問う。
「なんでそんな事をするの?」と聞かれたらその理由を並べ、教えてあげるより、
人のため、国のため、平和のために自分に出来る事があるなら、
やらない理由がないからやるだけと言えるような人間になりたい。

  この言葉は今の私が最も尊敬する人の言葉であり、生長の家の理念のような気がする。
その理念を必ずや自分の信念とすることを誓い、決意表明とします


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