1324 たとえ拒んでも“神の愛”は既に与えられていた

楽しく行ずる練成会探検断

 一般練成会の講話で “ハイハイ、私は神の子です” と素直に受けなかったから
問題が出てきたのですよ」 と長田講師が話され、
「そうだ、簡単な事なんだ、無抵抗に自分を神の子と拝み、
虚心坦壊(きょしんたんかい) に神の子を行ずればそれでいいのだ」
という思いを新たにしました。

 今回の練成会は、素直に自分を神の子と拝み、何も考えずに
神の子を行ずるのだと心に決めて臨みました。

 私は今まで自分の事を悦んでいなかった。
自分で勝手に不完全とか悪とかを掴んで素直に神の子を受けていなかったと
自分の内の神様に対してお詫びしたい気持ちになりました。

 神想観の最中、自分の内の神様が悦んでいるのを観じる事が出来、
心地良い霊的高揚感に満たされました。
そして 「生かされているんだ」 「自分を生かして下さる内なる生命を悦んでいるだけでいいんだ」
という思いを深めました。

 私は昔から神様から既に与えられ済みであるところの豊かさや幸福を
遠慮して拒み続けてきました。

 自分は今幸せになってもいいのかと、自分にはまだ受ける力量が
具わっていないような思いがして、まるで自分に自信がなかったのです。

 しかし、心臓すら自分で動かせずに神様に生かしてもらっているのに、
全面的に受けようとしない自分自身が我の強い、我儘な人間のように思えてきました。

 こんな我の心を粉砕して神様に前面降伏し、「ハイハイ、私は神の子です」
「今、豊かです」「今、幸せです」
と素直な心で自信たっぷりに言い得るように、
自分を徹底的に拝もうと今回の練成会で決意しました。


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