私が今回参加させて頂いたのは、姑と不調和になり、夫婦も不調和となり、
夫婦間は和解出来たのですが、姑を許す事が出来ず、気持ちを変えたくて
参加させて頂きました。
宇治に着いてから二日間は溢れる真理の言葉で、来れた事がただ嬉しくて、
苦しい気持ちを忘れていました。
十三日に個人指導があったので、思いを整理し始めたら、忘れたかった腹立ちや哀しさが
どんどん出て来ました。許さなければと思っていても「私は人として間違ったことはしていないのに」
という気持ちが消せませんでした。
個人指導で長田講師に「今の家の状態は過去から積み重なっていた事が現れているので、
先祖供養や愛を表現することにより家を清めていく使命が与えられたのです。」と言って下さり、
腹立っている場合ではないと納得出来ました。
私の使命や愛を引き出して下さった相手であり、姑の分も浄心行をしてあげること、
そして、「自分は愛を出せる素晴らしい神の子である事を自覚することが大切だ」と
話して下さいました。
そこから浄心行までは色んな想いが出て来ましたが、その度、答えが出てきたように思います。
お嫁さんと同居のお姑さんの立場の方が、
「私は息子が大好きなの。大切だから、その人を幸せにしてくれる嫁もとても大切に想っているの」
とおっしゃった言葉がドーンと胸にきました。
姑もそんな風に思ってくれていたのかもしれない、それなのに解らなかったのは
私の方だったのかも知れないと思いました。
浄心行では、自分の事を沢山書いていた後、姑の気持ちになって姑の分を書きました。
今まで苦労してきた姑はどんなに辛かったか、嫁にまできつく言われて、
どんなに哀しかっただろうと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
私の母も祖母にとてもきつくされていて、姑と祖母が重なり、昔の思いも蘇ってきていたので、
その思いも書きました。
その後の山口講師のご講話の中で「どんなに正しくても、相手が辛い思いをしたり、
うまくいかないのは徳が積めていないからだ」とお話しされ、どんなに正しくても、
私は裁いていたんだと痛いほど感じました。
浄心行では、姑にも父にも母にも夫にもごめんなさいと心の底から詫び、
他界した母も心配してくれていると感じました。
私はこんなに愛されていたのに、気付かなかったのは母の方で、
いつも大切に思ってくれていたことを感じました。
気持ちがスッキリしてきて気になってきたのは主人の事です。
毎日私はこわい顔でどんなに嫌だっただろう。心の底から笑顔になって帰ろうと思い、
一所懸命笑いました。
帰ってからどんな風に会えばいいのかと思っていたら、食事の際、阿部講師に教えて頂けました。
「帰ったら実相の姑を祈り、本当に会いたくなったら会いに行ったらいい」と話して下さいました。
そして、「何を言われても傷付かない私は神の子だ」と自分の実相も祈るよう教えて下さいました。
家に帰ったら毎日神想観をし、愛行をし、主人に笑顔、愛を忘れず、家を明るくしたいです。 |