私は現在某会社に勤務しており、その会社からの派遣で一般練成会に参加させて頂きました。
当社の社員はほぼ全員が練成会を受講している中、私は昨年まで母校のラグビー部で監督をしており、
なかなか十日間の時間的余裕が作れず、参加しないまま二年が経ちました。
今年、個人的には不本意な形で監督を辞任することになり、時間的余裕が出来たので、
当社代表のK先生から是非十日間の練成会に参加するよう指示を頂きました。
K先生からは、「頭で理解するレベルから練成に参加することで
お腹の底にスッと入るものがある」とお話しを頂いたこともあり、
初めての宇治別格本山ではありましたが、道中もワクワクしならが
電車に揺られて来ました。
今思えば今年監督を辞任したことで宇治に来られたというのは
神様のお導きだったのだと確信しております。
初日の講話で長田講師から「実相と現象」のお話をして頂きました。
この考え方には初めて触れたので正直驚きました。
しかし、違和感なく素直に入ってくる感じがしました。
その後の講話でも、例えば「笑う事の大切さや明るい心が明るい未来を築く」
というお話は、今まで自分自身では深く意識はしていなかったものの、
どれも自分自身の考えにピッタリと当てはまるものばかりでした。
練成会の期間中、自分の手帳にその日感じた事を書き記しておりましたが、
四日目の日記に「これからの課題であり、使命は『愛と感謝』である」と記していました。
まず「愛」について、「愛するとは相手の身になる事」と教わりました。
それを一番感じたのは練成に参加されている先輩方、そして講師の皆様の温かさからでした。
練成の参加者は多くの方がご自身でも悩みを抱えたまま来られていたのだろうと思いますが、
それぞれの方の話を皆が親身になって聞き、時には励まし、時には笑顔で元気付けようと
されている姿に、人間としての温かみ、まさしく愛を感じたのです。
次に「感謝」について、感謝することの大切さは学生時代からラグビーを通して学んできました。
日頃から食事の準備や洗濯をしてくれる親に対する感謝はもちろん、試合会場を準備して下さる
関係者やレフリーに対して、あるいは対戦相手への感謝も沢山指導をされてきましたので、
周りの人への感謝という意味ではある種、出来ているつもりでした。
ところがそれを覆されたのが浄心行でした。
あまり大きな悩みを持たないまま練成会に参加したのですが、浄心行で幼少期からを
振り返りながら書くと出てくるのは自分自身の悪い点や至らぬ点ばかり。
そしてその度に親には迷惑をかけていたのに、大きな愛でここまで育ててくれたことに
心から感謝の気持ちが湧き上がり、涙が自然とこぼれました。
「なんと、今まで感謝しているつもりになっていたのか」と心から反省しました。
とはいえ、この練成会に参加させて頂き、また一段と大きな自信がついたのも事実です。
周りの多くの人々に愛され、支えられてきた事に感謝しつつ、「これからの人生、更に良くなる」
と心の底から感じ、それが自信となって現れてきたのです。
最後に不思議な体験を一つ。浄心行で暗闇の中で両親に対して「ありがとうございます」と
唱えている時に誰かに体を左右に揺すられる感覚を覚えました。
まるで左右に父と母が座っていてゆっくりと私の身体を押しているような感覚です。
これは何なのだろうか?足がしびれて疼(うず)いているだけなのかな?と思いました。
ところが十日目の夜の行事の時、この感想文を書く前に祈り合いの神想観の時に
また同じ感覚を味わいました。理由は解りませんがきっと皆様の強い祈りに私の身体が
反応していたのだと思います。十日間の中でその二回だけという、なんとも不思議な体験でした。
決意として、まず自分自身の課題、使命である「愛と感謝」について、
日々の生活の中で実践していくことです。
これまで周りの多くの方々から沢山の愛を受けてきましたが、
受けるだけでなく与えられる存在になります。
そしてこれまで以上に「ありがとうございます」を言うことです。
思うだけの場面は多々ありましたが、やはり相手に伝えるべきだと思うからです。
そして、これまで以上の沢山の笑顔で自分のみならず周りの沢山の方々を
笑顔に出来るよう精進致します。 |