今回十六年ぶりに参加しました。
叔母の神癒祈願のお礼と、自分の退職について個人指導を受けるために来ました。
十六年も来ていなかったという感じがしないくらい、自然で懐かしい気持ちです。
仕事をしながらもずっと宇治の練成を受けたいと思いながら
毎日を必死で生きていたような気がします。
「辛い時には宇治に来れば良い」と自分を励ましながら、毎日を送っていました。
朝は必ず神想観、聖経を読誦してから出かけ、帰ってきては神想観、聖経読誦してから眠っていました。
この繰り返しで十六年間仕事を続けてこれたと思います。
平成十一年の十一月に離婚してから無我夢中で生きてきたと思います。
でも最近、職場で無視されるようになり、職場の人間関係は最悪になり、
苦しんだ結果、四月で退職しました。というより行けなくなってしまいました。
ここに来てからはそのことが実は次の私のステップに必要な事だと
思えるようになっていました。
自由な自分が無くて、がんじがらめに自分を縛って、あれも失敗、これも迷惑かけるばかりと
自信を失っていたら思ったとおり、恐怖したとおり仕事に行き詰まりました。
自分の我で何とかしようと焦り、喜んでいない自分がいました。
朝、必ず笑いもやっていたのですが、何をやってもうまくいかないことってあるんだと思いました。
実はその事が私にとってこの職場にいない方が良いと思える結果になっていたと思います。
浄心行で私を苦境に追いやって下さった方々に感謝出来ました。
これからはまた地元で生長の家の活動が出来ればと思っています。
せっかく地方講師補の資格も頂いていたのに、何のお役にも立てず、
やっと母親教室を開けたばかりです。
神の御心に叶う活動をして、それに合った仕事もきっと見つかると信じています。
叔母は八時間のオペにも耐え、今は抗癌剤を投与していますが、
本当に何もなかったかのように元気です。 |