久しぶりの練成は講師も講話も大きく変わっており、一つ一つの話が
「罪はないんだ」「神の子なんだ」と何度も何度も響いてくるようで、
「そうだった、そうだった」と嬉しさを噛みしめていました。
浄心行記載では自分の心や思いを整理するように書き進み、
自分でも気付いていなかった想いが出ていました。
神の子と何度も聞きながら、自分の中にはいつも自分を採点する
もう一人の完璧な自分がいました。
そいつはどんなに頑張ってもどんなに周囲が誉めてくれる時でも
いつも欠点を見つけてきては 「ここが駄目だ」 と責めていました。
今まで親によく注意されながら育ってきたと思っていたのも、
それより厳しく責めていたのは自分自身でした。
だからいつも心のどこかで幸せになっていいと思い切ることが出来ずに、
無理やり前に進んでくるような人生でした。
そして以前練成を受けた後も実相はその完璧な自分、その自分にいつも
行動を監視されている日々で、宇治に来れば解放されるという状態でした。
そんな浄心行でしたが、いざ焼却してもすっきりとせず、むしろモヤモヤして、
どこで良くなるのだろうと考えながら何日か受けることになりました。
ところが八日目の祈り合いの間に祈ってもらっていると、
ふと 「満点だよ、満点だよ」 と浮かんできました。
今まで採点していた基準は自分の基準、自分の善であって、
神様からすれば今までの人生のどの部分を切り取っても
いつも満点な自分でした。
それなのに勝手な善悪でいつも自分を裁いていました。
それで自信もどこか足りず、人付き合いも好きではなく、
幸せな方向にいつも踏み出せないでいました。
その祈り合いの三十分で今までの自分が全て赦され、
そして自分に採点してくる完璧な自分もいなくなりました。
それからの神想観ではいつも 「満点だよ」 と祈らせて頂き、
目の前の人も環境も全て神様の満点のレールの上を誰一人外れることなく、
外れようと思っても外れられないくらいにしっかりと百点満点、円満完全ばかりだと
感じることが出来ました。
その間は気持ち良く、すぐ過ぎていくようでした。
これからどんな状態が顕れてきてもいつも満点だと祈り続けていきます。
また、これからの研修生活でも笑顔と祈りを絶やさずに、
たくさんの聖典を読んでいこうと思います。 |