1433宇治の地で蘇った五十年前の青年会活動

8月一般練成会体験談

 今回の宇治練成会に参加したのは、両親と未婚のまま亡くなられた
二人の従弟の永代供養をお願いする為でした。

 生長の家青年会の第一線で活躍していた頃から五十年。
浦島太郎になった気分の十日間でした。
新しくなった宇治の道場にまごつき、立派な大拝殿、入龍宮幽斎殿に感動しました。

 大拝殿の前方に既に霊界に入られた先達一五三名の名簿があり、
生高連時代に光明化運動に導いて下さった方々、一緒に本部で働いた仲間、
大会や全国会議で知り合った方々。懐かしさと、もう会えない寂しさ・・・
これが五十年という歳月なのだと思い知らされました。

 全国の誌友さんに 『聖使命新聞』を手作業で発送していた時代、その数の多さに
本部職員全員と生学連の有志も動員して月一回の作業時、皆からTちゃんと呼ばれていた人に
皆で輪読会をする時、谷口雅春先生のお言葉とテーマ別に持ち寄って
「明るい生活の実践を伝えていこう!」 と決意しました。

 自分の足で自分の目で身体が動くうちに地球を一周してこようと思っています。
不安だった足も練成中一度も杖を使うことなく、おそるおそる 「實相」 の額を礼拝する時、
正座をしてみたら座ることが出来、幽斎殿の早朝神想観では三十分座り続けることが出来ました。

 これからは階段にも挑戦してみようと思っています。
五十年も使えば手足のパーツが痛むのは仕方のないことと、あまり深刻に考えていませんでしたが、
気がついたらメールの打ち過ぎで自由に曲がらなかった両手の親指が普通に動かせて
「アレ?」という感じです。

 練成会で政治の話はしないで欲しいと参加者の一人が手を挙げて訴えておられましたが、
「日本会議の研究」を教えて頂けて良かったです。

 パラパラと頁をめくったらこれまた知った人の名前がいっぱい出てきました。
人口妊娠中絶を防止する為に谷口雅春先生ご自身が政界に出馬されようかと
真剣に考えられた時代もあり、政界のドロドロした世界を先生にお見せするわけには
いかないと玉置和郎氏を政界に送った時代を終えて今があるわけだけど、
現象は変わるのです。

 實相の世界を地上に持ち来たす生長の家の光明化運動も時代の流れと共に
変わって当然ではないでしょうか。

 中心帰一の教えを実践するのなら今の総裁先生に帰一するのが
信徒として当たり前だと私は思います。

 五十年ぶりに目を覚ました浦島太郎は明日新幹線に乗って帰るべき所へ帰ろうと思いながら
感想文を終わりとさせて頂きます。



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