生長の家の信仰にご縁を頂き二年半になります。
宇治の練成道場に来ると何故か安堵感と穏やかで素直と謙虚な思いになれるのは何故でしょうか。
おそらく私の先祖や亡き父母が唯一現象界で肉体を持つ私が闇夜の中で迷いながらも
生長の家に辿り着いた事への安心感ではないかと思います。
そんな想いで今回の宇治の練成会を受けていました。
また、今まで書籍よりの知識での事ばかりで、解ったつもりでしたが、
やはり目の前での講師の方々の肉声を目前で見るライブ講演は、
講師の方々の魂と私の魂とが相呼応し、やはり本やCDでは味わえない体験が出ます。
今回の宇治の練成会では、自分以外の他の為に愛を与えることを、
今までの体験において 「やはりそうだったのか」 と再認識しました。
今までの人生はいかに自己中心的で私利私欲に捉われていたことかと、
今までの自身の愚かな人生を恥ずかしく思い、その未熟な私を
「実にバカな人間だったなぁ」 と笑って吹き飛ばしました。
私にとって今回の練成会は、過去の不完全な自分、未成熟な自分に対し、
笑いながら、少しは魂の進化した自分を誉めてやり、過去の自分を笑って捨てるという、
そんな宇治の練成会でした。
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