1495 「反省して償うこと」とは神の子として新生することだった

平成28年12月一般練成会感想文

 今回、次の研修生七ヶ月を受講したく、一般練成会に参加させて頂きました。
久しぶりの十日間練成で何日も前からワクワクしておりました。

 まずは神想観の基本的な部分をきっちりと学びたかったので、
神想観練習が六回もあったことは大変嬉しかったです。
姿勢や礼拝の作法の仕方、手や足の形など詳しく説明して下さり、よく解りました。

 次に榎本一子講師のお話しの中で、「自分は人を傷つけたこともない完全円満な生命なんです。
罪は犯せないのです。 もし反省するのなら自分は素晴らしい存在と忘れていたことを反省すれば
良いのです」 とおっしゃったことが心に響きました。

 また、反省の仕方では長田講師がご講話の中で人間関係の不調和を例に出されて
「潜在意識から顕われて消えてゆこうとしているのに再び私が悪いのだと思えば
自分自身にその悪さを注入している、何気なしに思っても潜在意識に入り、
再びゼンマイを巻くことになります」 と、自己処罰をして苦しみ、
そしてまた罪を重ねる苦しみの連鎖と業の流転についてを解り易く説明して下さいました。

 「償うことは苦しむことだと思っていませんか? 本当の償いは神の子として新生することです」
と力強くおっしゃいました。 メモをとる手が震えました。本当に大安心の境地でした。

 浄心行では、自分が神の子として存在している意義や生まれてきた目的などを
感じれば感じるほど父や母がどんなに私を深く深く愛していて下さったか、
私はそんな両親の気持ちを理解しようともせず、ただ突っぱねていました。

 両親の心に寄り添うことをしなかったことが悔やまれます。
ですので父と母の笑顔を浮かべながら大声で呼び、
父も母も私も神の子と思いました。

 色々と自分を取り巻いていたこと、目に見えないロープでグルグル巻きになっていましたが、
このロープは解かれました。

 畑での大根引きや、畳拭きの献労など、とても清々しい気持ちです。
熱く、優しくご指導下さった講師の方々、ありがとうございました。
賄の方、スタッフの方々、ありがとうございました。


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