|  私は今の職場で働かせて頂いて、一年と八ヶ月が経とうとしています。宇治行きが決まると、とにかく涙が止まりませんでした。
 「何が原因かもやもやする」 「心が悲しみでいっぱいになる」
 宇治に着いて練成を受講する中でその原因が解りました。
 
 「自分では特に問題はないし、せっかく行くのであればいっぱい知識を持って帰ろう!!」
 なんて思っていたのですが、それどころか降ろすものが沢山ありました。
 
 自分が過去に終わって解決していたつもりのもの、出来れば人に話したくないと思うような時に
 座談会のマイクが回って来たり、食堂や休憩時間にご一緒して下さる講師に質問した事で
 話すことになるなど、自分が解決していると言いながら隠していた事を話す事で
 放(はな)っていったのだと思います。
 
 そして、きわめつけは大拝殿で畳を拭いている時です。
 お父さんの背中を感じながら拭いていたはずですが、実家の墓石を磨いている自分がいるのです。
 そして同時にご先祖様、特に祖母に対して許せなかった思い、嫌だった事、
 私は祖母が生きていた時に 「お婆ちゃんなんて死ねばいいのに!!」
 と言ってしまった事があるくらい許せない、嫌な思いがありました。
 それを全て宝蔵神社の中で放しました。
 
 するとその思いが全て私を愛するがゆえの事で愛おしくてたまらなかったのだという祖母の気持ち、
 そしてすごい力でご先祖様は応援してバックアップしてくれているのだということを感じました。
 
 その日の夜は直ぐにご先祖様そして祖母へ感謝の手紙を書きました。
 「愛している。愛している。愛している。 私はこの家に生まれてきて本当に幸せです。
 お婆ちゃん愛しています」 と心の底から真心の手紙を書きました。
 
 そして次の日の浄心行の前の講話でした。
 清水講師より 「神の子の自覚を包み隠している事は大きな罪であり、自己礼拝が最も大切であり、
 自分を傷付けている人の気持ちの中には 「淋しい」 という気持ちがあるのだ」と話された時、
 「これだ!」と心の中から声がしました。
 
 実は二~三ヶ月前から自分でも解らないのですが、「ただ淋しい!!」
 という気持ちになる瞬間がよくありました。 ただただ淋しくてたまらなくなる。
 今思うと原因は自己礼拝であり、仕事で自信を無くしていた事でした。
 
 レベルの高さに早いテンポでついて行くのに必死でした。
 初めのうちは 「神の子、やれば出来る!」 そう思っていたことが、気付けば周りと比較して
 出来ない自分を責めて、成果を確実に上げていく周りを見て、「どうして私だけ出来ないのか、
 申し訳ない、申し訳ない、すいません、出来ません」 そんな言葉しか言っていなかったように思います。
 
 宇治で研修生をして、必死になって喜んで、「人間は神の子、ただそれだけでいいんだ!」
 と最高の喜びと感動を体験したはずなのに、私は申し訳ない人間でないはずなのに、
 仕事が終わる度に泣いていたのを思い出しました。
 
 「現象の世界をどうにかしいよう。 闇から光りを見出そう!!」 そう思っているのですから
 神想観も祈りも間違った方向を見ながらしていたのです。
 
 浄心行では大懺悔をしたと同時にご先祖様、祖母へ書いた手紙を燃やしました。
 すると祖母が来てくれたのです。 すごく喜んでいました。
 私は 「行かないで、まだいて欲しい!!」 と言いながら何度も感謝の言葉を伝えました。
 「使命に生きなさい!」 そう言ってもらえました。
 その後、長田講師に個人指導をして頂き、空っぽにすることが出来ました。
 
 決意としましては、研修生をさせて頂いたあの頃と変わらず、
 この御教えを一人でも多くの方にお伝えすることです。
 特に青年の方にお伝えしますが、何よりも私が喜んで個性を発揮してお伝えをし、
 「今」を生きて、使命を邁進致します。
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