1576不安という重い漬物石は置いていくことに

5月一般練成会感想文

 主人の会社に仕事依頼が来なくなり、収入がない期間が2年ほどになります。
また彼の健康に関しても腎機能の低下がひどく、このままだと良くなることはなく、
人工透析を3~5年後にと云われ不安な気持ちが増大しました。

 加えて三女のわが家族(親、姉二人)に対する精神的な絶縁状態の解消と、
次女の幸福な再婚をと思って参加しました。

 10日の早朝、毎日の神社での祈りを済ませ、留守をしてくれる長女に勧められ、
きっと良くなると信じて宇治に着きました。
どうしようもない不安という漬物石を抱え、心の中は重く空気は薄く感じていました。

 まず個人指導をお願いし、榎本講師に思いの全てを話してしまおうと決めたことで安心し、
必ず良くなるとの確信を持ちました。

 個人指導をお願いしていたので、長田講師のQ&Aで参加の動機を云うつもりはなかったのですが、
何を云ったのか忘れてしましました。
少しだけ夫の身体のこと、そして、これまでの夫の関白ぶりを話したと思います。

 その日、12日の長田講師の講話の中で、難しかったのですが、壮大なる“宇宙創造”を、
人としての顕れを粒子や波動の表現をもって説かれました。
何か解らないけど、涙が出て、夫の生命も永遠の一つのものであったのかと、
自分ながらの解釈で、夫の生命を素直に認める私がここにいました。

 「神心に委ねる」のお話は、実相の私が実相の夫を観る、私も神の生命、夫も子供も神の生命ならば、
全てを神様にお任せして、唯々信じましょう。信じることが私の神様への愛、愛して頂いている
善なる神様に喜んでいただこう。

 神の子しかないのだ。家族を避ける三女と見ているのは現象の仮の姿を
私が見ていたのだったと知りました。

 彼女の本来の明るく幸福な健康、完全な神の子を観て、ただ感謝し、
喜びの波動を送るだけでよかったのでした。
そして、榎本講師のお話しの中で、『雨降りお月さん』の歌詞、
「一人で傘(からかさ)さしてゆく」の言葉の解釈をお聴きしまして、
本当に主人に悪かったなと思いました。

 神である夫にまるごと自分を委ねることをしなかった、申し訳なかったと、
そして、このような私を主人は主人のやり方で愛して下さっていたのでした。

 宇治で自分を解放した明るい笑いを家庭で輝かせましょう。
もう宇治に持って来た重い重い漬物石は全て置いて帰ります。
よろしく処分して下さいませ。

 感動の10日間、感謝感謝です。
ことばに神の言葉を、行動に神の子の自信を持ち、
出会う人々を光明化します。



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