一昨年この楽しく行ずる練成会に参加させて頂き、行ずる事の楽しさや素晴らしさを
体験させて頂き、感謝と喜びの生活を続けさせて頂いていたはずなのですが、
いつしか現象に引っかかり、取り越し苦労をしたり、迷ったりの生活になり、
心にもやもやしたものが、手や肩のこりとなって痛みを感ずるようになっておりましたので、
やっぱり年に一回くらいは宇治に練成は叶わなくとも、お参りだけでも出来たらなと思っておりましたら、
1月21日に予定されていた支部誌友会も支部長さんの場合で取りやめになってしまい、
思い切って主人に宇治へ行きたいことを相談すると、快く出してくれまして、参加が叶うことになりました。
神想観、聖経読誦等々、次々と行に専心していく内に、最も大切な事、
「自分も家族も人はみな神の子である」 という自覚が薄れていることに気が付くと共に、
「そうだ、そうだ、みんな神の子だから大丈夫!どんな事があっても絶対善くなるしかない。
素晴らしい存在ではないか!」 と思えると共に身体の力みも少しずつ
和らいでいる事に気が付きました。
そして祈り合いの神想観の時に身体がポカポカと温かく感じるようになり、
清水講師の感謝誦行の時に、手を上げてみたら、今までの痛みもなく、
スーッとあげることが出来るようになっておりました。
心のこりが、右手の痛みとなっていたようです。
本当に肉体は心の影だと分らせて頂きました。
これからは、出来るだけこの宇治練成に来させて頂き、
主人と共に仲良く感謝の生活をと思っております。
そして私の出来る事からこの御教えの善さを伝えて参りたいと思っております。 |